ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 人として生き,人を生かし,人を生む教師 | トップページ | 「いじめ対応教諭」導入で「いじめ件数」激増 »

日本で「本物」が育たない理由

 日本はある時期から,「文化の庶民化」がスムーズに行われるようになった。

 日本が底力をもっていることの理由の一つがここにある。

 ヨーロッパで,数々の高価な楽器が奏でる音楽を,楽しんでいたのはどういう人たちだったか。

 まさか,将来の「極東の地」で,「一般庶民」がそれを聴くだけでなく,演奏してしまうような時代が来るとは,想像もしていなかったであろう。

 日本の「文化の広がり」は私たちから見ればとてもすばらしいものだが,

 古き伝統というか「本物」を追究している人にとっては,どんなふうに思われているだろう。

 人間としてのスケールが極端に小さい教師が,音楽を教えてきたことがわかる記事がある。

 音楽は,日本の「ウサギ小屋」と揶揄されるような,ごくごくせまい空間で「聴く」ものではなかった。

 そういうところで響く音を聴いて育った人間が,音楽の教師となる。

 部屋で聴くためのスピーカーにこだわりを感じるような「小ささ」が,日本人のよさでもあることは確か。

 しかし,人間としてのスケールが小さくなって当然だろう。

 心も思考範囲もせまい。

 私の学校の音楽教師は,毎年,休暇をとってヨーロッパをとびまわっている。

 その人の,人間としてのスケールの大きさは,とてもまねができるものではない。

 こういう人に教育を受ける子どもは幸せである。

 賞をとるための指導ができるとか,コンクールの上位をねらえる指導ができるとか,そういう「小さい」ことを問題にするのが,日本の音楽の世界である。

 体育で柔道やダンスが必修となったように,音楽で演歌や歌謡曲,ロックがとりあげられる日はくるのだろうか。 


にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 人として生き,人を生かし,人を生む教師 | トップページ | 「いじめ対応教諭」導入で「いじめ件数」激増 »

教育」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本で「本物」が育たない理由:

« 人として生き,人を生かし,人を生む教師 | トップページ | 「いじめ対応教諭」導入で「いじめ件数」激増 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より