私の「失敗からの逆転」 ~親を怒らせて成功~
以前に書いた話がどこにあるか探す時間がなかったので,くり返しになりますが,書いておきます。
私は二校目で三年生の学年主任兼学級担任になったのですが,
「文化の違い」にまだなじんでいないころ,
学級委員を「叱って」,その生徒だけでなく親も怒り,
苦情の電話をかけてきたことがありました。
親の怒りは,約20分間続きましたが,あとの10分は,納得と感謝の言葉で終わり。
どうやって親を説得できたのか。
要は,気持ちが伝わったからですね。
私の仕事を理解してくれたのです。
私が異動してすぐのときに,荷物を運んでくれたことや,学級委員として中立の立場で教師と生徒との間に立ってうまく調整したくれたことなど,私が「たくさんのいいことを見たり聞いたりして,子どもに感謝し,そして期待している」ことを理解してもらったのです。
そして,なぜ私が「学級委員だけ」を叱ったのかを理解してくれたからです。
いろいろ言いましたが,最後にその親は,
「そこまで言ってくれる先生は,今まで一人もいなかった」と語りました。
親が怒ってくれて,「指導」は成功したのです。
子どもを「指導」してくれたのは,この場合は親ですが,そう導いたのは私です。
だから,「指導」は成功した,と表現しました。
もし親が怒ってくれなかったら,苦情を言ってきてくれなかったら,
私の「はたらきかけ」は「失敗」に終わり,なかなか関係を回復させることは難しかったかもしれません。
次の日,その親は,子どもにいろいろと語ってくれたのでしょう。
ちょっと恥ずかしげな表情で,私のところに会いにきました。
中学生は,一度,心のつながりが切れても,
何かのきっかけでどうにかつなぎ直すことが可能です。
そして,そうやってつながると,今度はちょっとやそっとのことでは切れなくなります。
切れた,ということは,「終わり」ではなく,「始まり」なのです。
私がその「親」に立ち向かったのは,
こちらに「信念」があったことと,
子どもに対するゆらぎのない「期待」「希望」があったからです。
そういう「期待」「希望」がなければ,立て直せないと思った学校だったのです。
「子どもを叱るな」なんていう親だからこそ,
子どもに対する愛情を教師がきちんと伝えることができる「情熱」と「情報」をもっていれば,逆に教師に対する信頼を高めてくれることにつながるのです。
親から逃げる必要はありません。
むしろ,立ち向かうことです。
チャンスなんです。
「子どもを叱るな」なんていう親から,「私は逃げます」と宣言している方へ。
あなたのところに「相談」に行ったら,何かいいことはあるのでしょうか。
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