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人を汚すつもりで,汚れの中に自分がどっぷりつかる趣味の人

 そこまで汚い言葉の群れが自分のHPを満たしたら,普通の人なら自分で気分が悪くなるというものでしょう。

 でも,そんなことはおかまいなしに汚しまくることができる人間が,本当は教師に向いているのかもしれませんね。

 絶対に自分から折れることはないから。


 *************

 今日は,地方にお住まいで,中学生のお子さんをもつ県教育委員会の方とお話しする機会があり,たまたま,最近のテスト問題の話題になりました。

 その方のお子さんは,ヨーロッパとの結びつきが強い時代から,アジアとの関係の方が深い時代へとシフトしているオセアニア州の特色など,学習指導要領や教科書の趣旨にあった学習をして準備していたところ,地理の問題のほとんどが国名や自然地域名(山とか川の名前)を書かせるものだった,ということでした。

 授業にほとんど参加していない,極端に言えば,不登校の生徒でも,覚えてさえいれば,高得点がとれてしまう。

 そんなテストをしている教師は,決して「ごく少数」とは言えないでしょうね。

 教育委員会が学校に出しているほとんどすべての調査内容は,文科省にトスしていくだけなのでほとんど意味がありませんが,ただ一つ,実施すれば教育課程(学習指導要領)の実施状況がすぐにわかる,というものがあります。

 それが,定期考査問題の調査です。

 小学校では業者テストの垂れ流しですが,中学校の場合は,教師が自分でつくる(それも,毎年同じ問題,なんていうことがないように,工夫してつくる)のが常識。

 できるだけ早い時期に,定期考査問題の提出を義務付け,それをもとに各教員の「作問能力」を問い,「評価の妥当性」を問う仕事をするべきです。場合によっては,著作権の侵害も摘発できるかもしれません。

 先にふれたような「課題のある問題」はただちに公開し,改善を指導するべきです。

 もちろん,「優れた問題」の事例もすぐに公開して,「目標」にさせるべきです。

 評価規準はいっしょでも,指導のばらつきは本当に天地の開きほどあるもの。

 今の「観点別学習状況の評価」など,学校によっては全く当てにならない,子どもにとっても親にとっても意味不明の代表のようなものです。

 評価をめぐる学校現場の実態は,惨憺たるものがあります。

 その背景に,指導力の不足があるのも明らかなこと。

 こういう実態を知っている親のうち,

 「うちのような子でもできるような問題だから,かえってありがたい」

 なんて人が多ければ,ここはトイレになり,

 「こんなことでは子どもの努力が報われない」という人が多ければ,

 学校の「汚物」を排除することができるのでしょう。

 それにしても,公立学校の質の低さを,「生徒の質が低いから」と開き直っていた教師による教育ブログには辟易されられましたが,中学校の場合は「他教科の試験問題」など試験監督になったとき以外はほとんど目にしないものなので,課題の発見が遅れがちになる典型的なケースです。

 全国の中学校の管理職のうち,「定期考査問題は,本番実施の前に必ずチェックする」という人は何%くらいいるのでしょうか。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より