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職員室で,他の教師の見ている前で生活指導を行う学校

 かなり前の話だったと思いますが,

 職員室内で生活指導を行うことの問題をご説明したことがありました。

 まだ,この問題を理解できない「人権感覚」に乏しい教育関係者がいるようなので,一言,書かせていただきます。

 職員室というのは,教師たちが事務的な仕事や授業の準備,学年で小さな打ち合わせなどを行うための場所であって,生活指導をするところではありません。

 しかし,中学校によっては,他の教師に聞こえるところ,見ているところで生活指導を行うところがあるようです。

 これは,教師による「いじめ」です。

 子どもの側に立って考えればわかるでしょう。

 どれだけ屈辱的な場に立たされているか。

 そこで,自分の思っていること,考えていることを,落ち着いて話せると思いますか?

 そんな「話」を聞くつもりは,職員室にいる教師には毛頭ないでしょうね。

 教師たちの面前で生活指導を行うということ自体が懲罰的な意味をもっていることを知っているから,あえて行われていることです。

 もし私がこういう場面に出くわしたら,ただちにお願いします。

 「部屋を変えてやってください。もし必要なら,生活指導担当の私も立ち会います。」

 しかし,力のない教師が指導する場合は,他の教師たちがいる場の方が,安心して「指導」ができるのです。

 生徒が逆ギレしたら,すぐに助けてくれるでしょうし。

 生活指導というのは,「生徒が話をしやすい場」をきちんと提供してあげること,これが大事なところです。

 力のある教師は,そういう環境の学校では,しかたなく,職員室で「説教」などはせずに,本当の意味の「生活指導」を行えるのかも知れませんが,一人だけの力量では,学校を変えることができません。

 すべての教師が,正しい生活指導を行うための,環境をととのえる必要があるのです。

 まとめ。

 職員室で,他の教師の見ている前で指導を行う教師は,最低の教師です。

 自分の「よい」指導を見せつけている教師は,いやらしい教師です。

 今,「叱り方」までマニュアルが必要な時代になっていますから,こういう環境が必要だ,という意見があるかもしれませんが,教員の力量を高めることより,まずは目の前の子どものことをみんなで考えたいですね。


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コメント

hsさん,コメントありがとうございました。

地域によって,「学校の最低限のルール」ですら,かなり異なっていることがよくわかりました。

私のいた自治体は,おそらく全国でもトップクラスの生活指導困難地域です。

しかし,生徒も教師も,お互いの「心」は大事にしてきました。

変なプレッシャーのかけ方は,生徒と教師の関係をゆがませます。

見た目は透明なのかもしれませんが,魂胆が非常に不透明です。

これ,生徒からの声でも,やはり握りつぶされますか?

そうとばかりは言えないと思います。
おそらく問題の少ない学校にお勤めかと推測しましたが、
いかがでしょうか。私のところでは、生徒指導は全教員で
行うことを基本とし、職員室で指導することも多いのです。
事が重大であれば別室で、複数の教員で対応しますが、
遅刻指導、服装指導、日常の生活態度に対する指導は、
学年主任を中心として、職員室で指導しています。
当然、教頭も室内にいますので、
学校の置かれた状況や、生徒の現状は管理職者として
十分に把握できます。
(依然、密室での教師の暴言や暴力もなくなりませんし)

「社会では大勢に、自分の行動が見られているのだから
ちゃんとしよう」という自戒や今後の行動を、自ら矯正させる
チャンスなのではないかとも考えます。
他の生徒の目に触れることが問題であることは認識
していますが、いろんな面で透明性を求められる職場です。
密室化しない方が、良いような気もします。
お互い大変な仕事ですが、その分、喜びも多いと思います。
がんばりましょう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より