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ゴミ箱の中に眠っている「宝もの」

 私は社会科の教師なので,

 「ゴミ箱の中に眠っている『宝もの』」というテーマで,授業案をつくってほしい,と言われたら,こんなプロセスを考えます。

1 私が子どものころ,集めていた「切手」の話。

  「切手」を集め始めたきっかけは,お父さんが廃品回収業を営んでいた同級生から,めずらしい「切手」のコレクションを見せてもらったことでした。使用済みの切手でも,これを「ゴミ」として燃やしてしまうのではなく,外国に輸出すれば,日本の文化を知ってもらうきっかけにもなる。ですから,封筒やはがきに貼ってあった「切手」は捨てずに,集めてほいて「寄付」をするという方法があることに気づかせる。

2 世界の中には,廃棄物から「資源」を取り出して売ることを仕事にしている子どもがいる。

 電気製品のコードを燃やして,中の「銅」を集めて売る子どもの映像を見せる。やけどしたり,有害なガスで体をこわしたりしても,わずかなお金を手に入れるために働いている。リサイクルの仕組みを上手にしないと,こういう労働のためにこきつかわれる子どもが生まれてしまう。

3 「都市鉱山」の話。

 「地下資源」ではなく,「地上資源」とは何か?と聞いてみる。廃棄物のことは2の活動からすぐに思い当ってもらえるでしょう。山積みになった廃車の写真などを見せます。そして,ニュースなどでも報道されていますから,知っている子どもも多いはずの,「携帯電話」からとれる金やレアメタルの話。

4 もう一度,ゴミ箱に目を向ける

 リサイクルの仕組みがかなり進んだ日本には,「ゴミ箱」の中には,本当に「ゴミ」しかないのかもしれない。でも,その「ゴミ」を一つ一つ,もう一度よく眺めてみよう。それがなくせる方法はないのか,それは本当に「ゴミ」なのか。一週間の教室のゴミ箱のゴミから,取り出したものを見せてみる。まだ使える消しゴムや鉛筆,大量の紙ごみなど,改めて考えてみれば,「ゴミ」ではないものを,安易に「ゴミ」箱に捨ててきたということはないか,考えてみよう。コンピュータの「ゴミ箱」は,そこに入れただけでは削除されない。最終的にゴミとして捨てる前に,よく確かめる習慣をつけよう。

5 江戸時代のリサイクル事情

 中学校の歴史の教科書にも出ている話。導入の話に戻り,「大事な仕事」だと改めて考えさせる。

6 ブログなどに紹介されている他人の文章を,「ゴミ捨て場」にたとえている人,その文章を紹介する。

 なぜこの人は,こういう文章を書かざるを得ないのか。どういう経験を経て,こういう人間になっていったのか。子どもは戸惑いながらも,いろんな想像をはたらかせてくれるでしょう。

 私の想像では,「共感」してくれる人はゼロでも,「同情」してくれる子どもは意外といてくれるはずです。

*************

 6は実際には「ゴミ箱」入りになるでしょうが,様々な別の角度から人間を考える題材として使えます。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より