「ブログ感想文」は「読書感想文」よりおもしろい
他人の家庭生活の内容を公開するような人間がいるから,というわけではなく,・・・・読書感想文は,
「ただただつらいもの」だから,反対だ,という人は少なくないようです。
「課題図書」のように,あらかじめ本が限定されるのもおかしな話,という意見もありますし,
「枚数が制限されているのがおかしい」
「担任が評価するのがおかしい」
などの意見もありました。
批判的なことを書くと,書き直しを命ぜられる場合も。
だから,思想統制,同調性圧力強化のための「宿題」だとも言われているのです。
いずれにせよ,強制的に本を読ませることになる「読書感想文」への忌避反応が大きいのです。
「読書感想文」を廃止して,「ブログ感想文」などとし,対象が中学生なら,少しは興味をもってくれる生徒がいるかもしれません。
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「読書感想文の書き方」という題のブログを事例に示して,
「この人は何が言いたかったのか」を問えば「国語の問題」になってしまいますから,
「この人と同じように,自分も生活の中で,大切な部分をごまかして生きていることを中心に書いてみよう」という課題を出す。
対象のブログの記事で筆者が言いたいことは,「私の記事を読んで,感想を述べている人がいるが,支離滅裂な思考の結果がそこには書かれている。読書感想文は,自分の生活のことを書くべきだと言われているので,おそらく自分自身の生活を書いているのだろう」ということ。
要は,自分のブログの記事に対して,何か書いている人がいるが,その内容は支離滅裂であることを言いたいだけ。でも,この記事自体が支離滅裂である。
要は,「私には無関係の話ですよ」という自己保身の主張。
中学生には,まず,「読書感想文の書き方」というタイトル自体に問題はないか,と問うてみる。
こういうタイトルの付け方を,自分たちも今までしてこなかったか。
筆者が問題にしているのは,自分のブログの記事に対する言及なので,そもそも「読書感想文」とは全く異質のもの。ブログの記事に対する感想文は読書感想文ではないので,「自分の生活を書いている」とは限らないことは,中学生にもわかる。
それなのになぜ「読書感想文」が登場したのか。
これは,ただ,筆者の「思考回路」によれば,感想をよこした人物の思考を「支離滅裂」と呼びたいこと,その人物の「生活」自体を批判したいので,「自分の生活のことを書く」という暗黙のルールがある「読書感想文」が,どうしてもブログの枕にほしかった。それだけ。
結果として,冒頭に紹介されていた,読書感想文の事例には,何の意味もないことがわかります。
こういう手を,教師などは説教をするときによく使うんですね。子どもの側からすれば,
「まわりくどいことを言って,結局言いたいのは,これだけでしょ」というあれ。
どうでもいい「事例」(この場合は,昆虫図鑑の読書感想文)はやたらくわしく,
本来,もっとも大事な,批判の対象になっている「事例」は,5W1Hの何にもふれていない。
これでは,読者はどこがどのように「支離滅裂」かがわからないのです。
でも,それを具体的に示してしまうと,自分自身の問題に気づかれてしまう恐れがある。
「柿」の事例は,まさに自分自身の文章のことを表現している。
こういう「感想文」が非常にレベルの低いものであることも,中学生にとってはとてもいい勉強材料になるでしょう。
指導力の低い教師が書く,「職務報告書」も,似たようなところがあります。
一番大事なところがぼやけていて,どうでもいいことばかりがくわしい。
大学時代にふれた,教育関係の「読書」の成果がこれなのかもしれませんね。
では,この「ブログ感想文」への優秀作品は・・・・。
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