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「万引き」教師の罪の意識はゼロ,恥とは何かも知らず

 いじめが頻発するのに,何の動きをみせない担任。

 魂からの救いの声に,耳を貸さない教師。

 だれも救えない教師。

 現実から逃避している教師たち。

 指導力のない教師は,たくさんいます。

 何しろ,採用試験に合格した教師が,採用試験には受からず,あるいは,教員免許ももっていないけれども塾で教科の学習を教えるプロになった人から授業のやり方を教わるような現状になったわけですからね。
 
 指導力のあるなしは,子どもを見れば一目瞭然。

 同じ程度の能力の集団を,1から10まで引き上げる教師と,

 1のまま足踏みさせる教師のように,

 「相対評価」をすれば非常にわかりやすいのが教師の指導力です。

 (授業を見れば即座にわかる話なのですが,そのイメージがわかない人のために,よりわかりやすい方で説明します。)

 子どもが,○○先生の授業はわからない,と訴えてくる。

 イライラしてくるとお説教が始まり,教科指導にかける時間がどんどん少なくなっていく。

 そして,いきなり自習にさせたり,お説教で時間が終わってしまった場合は,宿題にする。

 一度,採用試験に合格してしまったら,どんなに「豹変」して「ダメ教師」になっても,放置され続けてきた教師たちに,ようやく「社会の目」が向いてきた。

 当初の流れから,免許更新のねらいは,本音と建て前が違うことくらい,どんなに鈍い人でもわかりますよね。

 税金の無駄とは何か,と考えたときに,目で見てすぐわかる無駄から目を背けないようになってきた。

 社会の変化が,ようやく「教師の指導力の問題」を話題にできるようになったのです。

 それにしても,どうしてそこまで「指導力不足」の問題におおいをかけたくなるのでしょうか。

 答えるまでもありませんね。

 私は,今のあのブログの現状は,「罪の意識」との葛藤からもたらされているものだと信じたいです。

 そうでなければただの・・・。そう。現実逃避です。

 あと,蛇足ですが,吹奏楽部の指導は,教育公務員でなくても,さらに,教員免許がない人でもできますので。学力の話題にかかわれない理由は,視野が狭すぎるからです。現実を直視していないくせは,指導力不足教員によく見られる傾向です。
 
 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より