「すごい指導法」という傲慢な指導観
学習指導にしろ生活指導にしろ,「指導法」で簡単に子どもが変わるほど,教育は簡単な仕事ではありません。
楽器の演奏くらいなら,いくらでも上手くさせることができそうなものですが。
自分で自分の実践を「すごい指導法」などとして売り出せる傲慢さを,どう考えたらいいのか。
ある研究会に参加していた教師が,講師に向かって,
「前回学んだ授業は,自分のクラスでは失敗してしまいました。なぜでしょうか。」と質問していました。
指導法を学び,授業を見学して,自分の学級でやってみた。
うまくいかなかった。
「なぜ失敗したのか」がわからないから失敗したのでしょうが,本を買ってもらっている立場の人間には,「あなたの指導力が低いから」とは言えない。
「なぜ失敗するか」は語らない。
「どうしたらうまくいくか」にしぼって語っていく。
「こうしたら私はうまくいった」と語る。
普通は,多くの人が見て,「うまくいっていると思える授業」ほど,失敗している可能性が高い,という目では見られることがないでしょうから。
しかし,当たり前のことですが,「こうしたらうまくいく」と説明されて,「うまい授業」ができるなら,日本中の教師から悩み事はなくなります。
「昔のいい先生の本」があれば,それですんでしまうわけだから,もう「講師」も「研究授業」もいらなくなる。
授業を失敗する教師に共通しているのは,
「うまくいく方法」ばかりに気をとられていて,「うまくいった状況とは何か」があまり理解できていないことです。
単純に,上手に演奏することができるようになったことを「うまくいった状況」と考えていたら,
その教師は一生「うまい授業」はできないでしょう。
「どの生徒も集中して話を聴いている」授業を単純に「うまくいった状況」と考えていたら,
その教師は一生「指導力のある人」にはなれないでしょう。
「指導力」の定義はいくらでもできるのですが,これだけは忘れてほしくはない,教育の実態があります。
「子どもの能力を高める」という目標があったときに,
「指導力のない教師の方が,指導力のある教師よりも,子どもの能力を高めている」という実態を目にすることがあるのです。
指導力のある教師の目の中には,「うまくいっていることが実感できる子ども」しか入っていないということはないですか?
完全に「無視されている生徒」「軽視されている生徒」「除外視」されている生徒がいる状況でも,「うまい授業」になることはあります。
痛々しいのは小学生です。
あの教師にすがりつくような挙手の態度だけは,私の場合は目にしたくありません。
「すごい指導法」という大きな看板をめがけて教育の勉強をするのではなく,
「あたりまえの指導」とか「忘れがちな指導」のような観点で学んでいくのはどうでしょう。
ところで,自分が書けばよいのに,人に書け,書け,と連呼している人がいますが,
歳だけとればそういう傲慢な態度が許されるという学校現場や社会の悪習が,
若い教師や子どもたちが最も嫌う悪臭であることも決して忘れてはいけません。
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