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教師の仕事は子どもの夢や希望を育てるものである

 「教師になるのが夢でした」

 なんていう人を,現場は求めていません。

 「夢のままの方がよかったんじゃないか」

 という声をかけなければならない瞬間が刻々と迫っているから。

 中には,教師になったあとも,そのまま「夢の中」にいる人がいる。
 
 だから,周囲の教師の負担がたえない。

 「教師になったら,こんないいことがある」なんていうイメージを,

 「仕事へのご褒美」だと思うことは決して悪いことではありませんが,

 公立学校の教師になるのであれば,「教育公務員になる」ことの意味を考えてほしいのですね。

 あなたは,だれのための「教師」なのか。

 子どもたちにとって不幸なことに,

 根本的に,

 決定的に,

 絶望的に,

 この部分が完全に欠落している人間が,ときどき間違えて採用試験に合格してしまう。

 あなたは,だれのために「働く」のか。

 最近は,異動のない「私立学校」への就職希望者が増えているという。

 「めんどうな保護者対応がなさそうだから」「深刻ないじめがなさそうだから」などと,正直に,のたまわれる。

 こういうのは,私立学校に入っても苦労するだろう。

 少しでも「楽」そうな・・・・そうそう,費用対効果だ。

 同じ給料なら,ラクな方がいい。

 たのしい方がいい。

 そういう人間たちでもなれてしまうのが教師という職業。

 最初の立ち位置がきちんとしている,

 そういう人を選ぶことはできないのだろうか。

 ある人はこう語った。

 最初から教師になろうなんて考えてたやつに,ろくなやつはいない。

 いや,教師に限らない。

 人間,ふとしたことをきっかけに,実際に自分がつく職というのが決まることが多い。

 それは,だれかが「あなたは~に向いている」というアドバイスを受けて,実際にやってみて,本当にはまった,というケース。

 人間は,自分で自分が何に向いているかはわからない。

 人から,何に向いている,というアドバイスを受ける環境で生きていることが,最も,自分にあった職業を見つけやすい,ということ。

 そういう意味では,教員養成系の大学というのは,どうだろう。

 きちんと,「あなたは教員には向かない」「教員よりも,~が向いている」と言ってくれる先生がいるのだろうか。いないか。教員しか経験したことがない教員に教わっているのだとしたら。

**************

 (追記)こういう記事を書くのも,少し考えものだ,というところもあります。

 面接では,利己性が見える人間より,利他的な人間に高い評価を与えます。

 だから,「ずっと私は先生になりたかった」などという子どものようなことを言う人間は,二の矢への対処を間違えれば,それで終わりになるのです。

 しかし,「子どもに夢を与える仕事」というテーマで,しっかりと論文を書く練習をしてきた人は,面接官の心をつかむ「志望動機」が話せるでしょう。

 面接は,面接官の心をつかむ話をすればよいのです。

 そういうコツだけ知っている人が,本心を隠して高い評価が得られるのが面接だから,本当に評価とはやっかいなものです。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より