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教師になってすぐの人が,初めて知るであろうこと

 いろいろあると思います。

 子どもの学力は,そう簡単には伸びない。

 子どもの中には,本心を悟られないようにすることに「長けている」者がいる。

 親は,心の中で思っていることと,違っていることをよく口にする。

 こんな人でも教師を続けてこれたんだな,という人がいる。

 こんなすごい中学生がいるんだ,と圧倒される。

 部活動の指導って,こんなに責任が重いものなんだ,と実感する。

 指導力のある人とない人のギャップがすごい。

 自分に,期待をかけてくれている人と,そうでない人がいる。

 話しかけやすい教師と,そうでない教師がいる。

 子どもの前と,教師の前とでは,人格が違うのではないか,くらい変わる人がいる。

 校長は,想像していた以上に,学校にいないものだ。どうやって責任をとるのだろう。

 会議は長いが,ほとんど参加していない人がいる。

 生徒に人気がある先生と,そうでない先生がいるのは,自分の子ども時代から知っていたが,その理由のバリエーションがかなりあることに気づく。

 学校には,すごくたくさん仕事をしている人と,非常勤講師と同じ程度の仕事量の人がいる。

 学年によって,全く雰囲気が違う。

 中学校3年生は,すごく大人に見える。(しかし,自分が育てて持ち上がった3年生は,いつまでたっても子どもっぽく見える)

 授業がとても荒れている教師がいる。
 
 実技教科を完全になめている生徒が多い。

 学校では,とてもよくものがなくなる。

 落し物が届いても,ほとんど取りに来ない。

 子どもは,緩いルールの方に簡単になびいていく。

 ***********

 もしあなたが教師2年目で,すぐに異動になり,異動先で中学校3年生の学年主任をやることになったら,最初の学年集会で,何を話しますか?

 学校の中で,教師は,何を考えて毎日を過ごさなければならないのでしょう。

 それは,「自分がリーダーになったらどうするか」です。

 同調性圧力が強い文化の中にあって,自分の頭の中の思考だけですら,「上から目線と受け止められるのがこわい」なんて恐怖心をもっていたら,何も先には進めません。

 今そこに,「指導が成立していない教師」がいるときに,どうフォローできるか。

 「指導方針」もなく,惰性で動いてきて,子どもに完全になめられている崩壊教師を,どう扱うか。

 教師2年目でも,放置してはならない問題なのです。

 「どうしてあたりまえのことを,あたりまえにできない学校になっているのか」

 という問いを持たない教師の集団では,何も変わりません。

 でも,あなたは知るでしょう。

 学校と言うのは,「内部から変われる組織ではない」ということを。

 もし「変える」としても,あなたの想像の及ばないくらいの労力がかかるでしょう。

 それと比べると,荒れた中学生100人を完全におとなしく着席させるくらい,楽なことです。

 楽な方を,集団は選びます。

 個人としての思いは,そうでなくても。

 そのあきらめが,今の,その,現状を招いているのです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より