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視覚支援の学校との交流会

 教員に採用されると,いきなり特別支援の学校の教師になる場合もあります。

 そういうときに,戸惑わないためには?

 教員を目指している人は,本当にありとあらゆる学校を事前に訪問しておくべきです。

 そして,本当に自分はここで仕事ができるのか,自らに問うてほしい。

 できたら,いろんな学校との交流を,自分が中学生や高校生のときに,経験できていると一番いい。

 そう強く思えるのは,そういう体験をしている中学生を毎年見ているからです。

 私の中学校には,視覚支援等の学校との交流を企画・実施する生徒会組織があり,今年は比較的大がかりな交流を実施していました。

 参加は自由なのですが,両校合わせて100人程度が集まりました。

 腕をかすことも満足にできない中学校1年生が,1時間もたたないうちに,頼もしい存在に見えてくる。

 グループごとにゲームやクイズに参加して,お互いの成果を励まし合う。

 視覚支援の学校の生徒からは,「人にやさしくするとはどういうことか」を具体的に学ばせてもらっています。

 私たちの生徒は,視覚支援の学校の生徒に,どんなプレゼントをしているのでしょうか。

 そういう問いを自らに投げかけられる生徒は,きっと教師に向いています。

 こういう体験をしている人に,ぜひとも教師になってほしい。

 視覚支援の学校で,数学の図形はどうやって学んでいるのだろうか。

 授業に参加してみたい。そういう気持ちになってほしい。

 交流会は運営するメンバーが毎年最大半分ずつ入れ替わるので,ときどき大きなイベントになったり,日程調整ができず低調になったり,波もありますが,継続できる環境にある学校はすばらしいです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より