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「やったつもり」授業を一掃するには?

 今日は,南の島国の教育関係者の方々に授業を参観していただきました。

 公用語が英語だったこともよく知らず,意思疎通ができるかどうか不安でしたが,通訳の方のお話を聞かなくても,何とか理解することができました。

 教師と事務方の違いは,授業の目のつけどころにあります。

 想像通り,現場の教師の方ではなく,行政の方の視察だったようですが,

 「ハードよりソフトが大事」という趣旨は何とか伝わったようです。

 ICT機器は,単なる道具に過ぎません。

 効果が薄ければ必要ないものです。

 試行錯誤の上で,自分なりにその使い方をマスターしていかなければなりません。

 私も一度だけ,しまっておいてもらわないといけないはずのプロジェクターの電源コードが見当たらず,参観者を待たせてしまったことがありました。

 大きな全国大会の発表会でも,プロジェクターにパソコンの画面が映らない・・・という報告でとんでいったこともありました。

 こういうレベルでは,授業ではつかえたものではありません。

 やはりパソコンよりもタブレットPC。

 どうしたら,先生方に教育機器を使いこなしてもらえるようになるか?がテーマだったようですが,日常生活の延長線上にくるような道具が一番です。

 家庭電気製品も,まだまだ大きく変化していくことでしょう。

 買って,慣れたら,もう次のレベルのものが,安く手に入る時代です。

 こういう道具をつかいこなせるのが目的ではなくて,あくまでも「授業」をどう成立させるかが,ポイントです。

 「授業」を成立させる,という言葉には二つの意味があって,

 そもそもだれも聞いていない,というのはダメ,というのと,

 だれも理解できていない,というのもダメ,ということ。

 だれがICT機器を使っても,子どもは聞いてくれるようになりますが,それで満足してはいけません。

 一番,手に負えない,「やったつもり」授業です。

 「つもり」授業も一掃したいものです。

 そのためには,まずは,機械なんかに頼らずに,授業を成立させること。

 教育実習生は特に。

 実践力がないまま機械にたよりすぎると,機械の方がありがたく見えてきてしまうので。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より