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「学力」ネタがいつの間にか500以上に

 2005年から今までの記事で,「学力」にふれているものは500以上ありました。

 中には思い出深い記事もありました。

 教育ブログの場合には,「学力」と言えば学校に行けば身につけさせてくれるもの,というイメージが一般的なのではないでしょうか。

 しかし,元教師によっては,「学校の教師には,学力を身につけさせる責任や義務はない」などと言い切ってしまうものだから,公立学校の信用はこれ以上落ちようのないところまで落ちてしまうし,塾に頼らざるを得ないというあきらめのムードがただよってしまうのです。

 各教科には,目標があります。この目標がどれだけ実現できているかを,観点を決めて,別々に見ていこうというのが,「観点別学習状況の評価」です。

 これによって,学力のイメージがやや具体化するでしょう。

 社会科で言えば,「社会的事象に対する関心・意欲・態度」,「社会的な思考・判断・表現」,「資料活用の技能」,「社会的事象についての知識・理解」の4観点があります。

 私がよく述べてきたのは,「穴埋めプリントだけやっていては,学力はつかないよ」ということ。

 国研が実施した特定の課題の調査の結果でもわかったように,ただ用語を「暗記」しているだけの生徒は,問い方を変えられてしまうと,答えられなくなる事象がある。

 これはつまり,その事象のことを「理解」して「知識」としていたわけでなく,ただ用語として「覚えていた」だけ,ということです。

 よく言われる「情意的な面」の評価の困難さも,生徒に課題をつくらせてみることで,見えないものが見えてきます。

 ただ,教育ブログで紹介させていただいている私の実践は「レベルが高すぎる」ということ。

 本来,それだけのレベルが求められている,というのが持論なのですが,評価には「キジュン」の難しさもあって,どうしても「共通の土台」に立った議論がしにくいのが現状です。

 今,あるものを作成していますが,「問題をやさしくしてほしい」という圧力は強いものがあります。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より