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いじめの実態を見ようとしない人間の決まり文句

 なぜ学校現場から,いじめがなくならないか。

 教師がいるその場でもいじめが起こっている学校があります。

 なぜ,放置されているか。

 答えは簡単です。

 教師にいじめをなくそうとする「本気さ」がないからです。

 どうしたら,いじめがなくなるか。

 いじめの実態を見ようとしない人間,

 本当に指導力に課題がある人間が,よく言う「対策」があります。

 それは,

 「良い人間関係を築けばよい」

 というもの。

 何も答えていないのと同じことです。

 戦争をなくすためにはどうしたらいいか?

 という問いに対して,

 「平和な社会を築けばよい」

 と答えて,それで戦争がなくなると思っている人はいないでしょう。

 いじめが発生するまでの過程は非常に複雑で,

 いじめる側も,いじめられる側も,かなり深いところまでつっこんでいかないと,本当の原因はわからない場合があります。

 教室の中で,良い人間関係をつくるということは,そう簡単にはいきません。

 すべての生徒が教師の完全なる「言いなり」になり,不平不満をいっさい言わず,「良い人間関係を保つ」ように見せかけることは不可能ではないでしょう。

 しかし,こういう「無理」は,必ずどこかで「爆発」を見ます。

 結果として「良い人間関係になる」ときには,とても激しいぶつかり合いがあった後などでしょう。

 中学校での教師経験が仮に豊富でも,

 「教師による『圧力』が強い」環境の中でばかりいた人にとっては,「良い人間関係づくり」は困難だと思われます。

 それは,おそらくは「教師にとって『都合の良い』人間関係づくり」だったのでしょうから。

 一見,指導の手が入っていないような環境の中で,本当の「良い人間関係づくり」は実を結ぶのです。

 ただ,こういう「ゆとり」の教育ができる学校は少ないでしょうから,
 
 「良い人間関係」が何を指しているか,わからない人も多いでしょうね。

 「良い親子関係」って何を指すのでしょう。

 「友達関係」の中でも,「男女間の良い関係」とは何でしょう。

 「上級生と下級生の良い関係」とは何でしょう。

 「教師と生徒との良い関係」とは何でしょう。

 これを築くために,教師は何ができるのでしょう。

 答えは,それが実際にそこにある学校から学ぶしかないでしょうね。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より