一般人は「気軽なコピペ」で嘆いていられることも・・・
社会で起こる様々な不正に腹を立てるのは,だれにとっても当然のこと。
しかし,教師という立場の人間には,当然のごとく,「配慮」すべきことがあります。
軽率に社会の問題を教室でふれるわけにはいかないのです。
昔,「米軍」を目の敵にしていたある社会科の女性が,授業を受けていた生徒を「いじめ」て不登校に追い込んだことがあり,処分の対象となりました。
こういうのは「ねらいうち」ですから論外なのですが,
教師がふれる「ある企業の問題」「ある政治家の問題」に,生徒の保護者がかかわっている(と思われてしまう)可能性があることを忘れてはいけないのです。
教育ブログの世界で,
「こんな大人がいるなんて許せない」というのは,
子どもが書くならわかるのですが,
子どもからみて「大人」が書いているのであれば,
「大人が大人の悪さを嘆いてどうするのか」
「あんたに何かできることがあるのか」
と思われて終わり。
子どもたちにとって,「嘆いているだけですむ」大人は無責任に見えてしまうのです。
「不満や怒りの矛先をうつす」
のは,あの国の政府が得意としていること。
教育の村では,「教育の問題」の解決方法を考えなければ。
そのための第一歩は,
「問題を問題として受け止めること」です。
それが,今の教育現場にはできていない。
こういう「体質」は,元教師のブログからもにじみ出してきていることがおわかりになるでしょう。
いじめ問題にしろ学力低下の問題にしろ。
小学校の教師には何の緊迫感もないでしょうが,中学校,高校で「寝ぼけた教師」がいたら,それこそ「塾の先生の出番」になってくる。
「現場はいっぱいいっぱいだ」と宣言してしまうのも,一つの方法。
実態はどうなのか,外部の目が入りやすくなるでしょう。
この村の中で論ずるべきことは何か。
問う前から明らかなことであるはずなのですが・・・・。
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