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一般人は「気軽なコピペ」で嘆いていられることも・・・

 社会で起こる様々な不正に腹を立てるのは,だれにとっても当然のこと。

 しかし,教師という立場の人間には,当然のごとく,「配慮」すべきことがあります。

 軽率に社会の問題を教室でふれるわけにはいかないのです。

 昔,「米軍」を目の敵にしていたある社会科の女性が,授業を受けていた生徒を「いじめ」て不登校に追い込んだことがあり,処分の対象となりました。

 こういうのは「ねらいうち」ですから論外なのですが,

 教師がふれる「ある企業の問題」「ある政治家の問題」に,生徒の保護者がかかわっている(と思われてしまう)可能性があることを忘れてはいけないのです。

 教育ブログの世界で,

 「こんな大人がいるなんて許せない」というのは,

 子どもが書くならわかるのですが,

 子どもからみて「大人」が書いているのであれば,

 「大人が大人の悪さを嘆いてどうするのか」

 「あんたに何かできることがあるのか」

 と思われて終わり。

 子どもたちにとって,「嘆いているだけですむ」大人は無責任に見えてしまうのです。

 「不満や怒りの矛先をうつす」

 のは,あの国の政府が得意としていること。

 教育の村では,「教育の問題」の解決方法を考えなければ。

 そのための第一歩は,

 「問題を問題として受け止めること」です。

 それが,今の教育現場にはできていない。

 こういう「体質」は,元教師のブログからもにじみ出してきていることがおわかりになるでしょう。

 いじめ問題にしろ学力低下の問題にしろ。

 小学校の教師には何の緊迫感もないでしょうが,中学校,高校で「寝ぼけた教師」がいたら,それこそ「塾の先生の出番」になってくる。

 「現場はいっぱいいっぱいだ」と宣言してしまうのも,一つの方法。

 実態はどうなのか,外部の目が入りやすくなるでしょう。

 この村の中で論ずるべきことは何か。

 問う前から明らかなことであるはずなのですが・・・・。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より