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教師の都合ではなく,子どもの心を最重視する学校へ

 予想した通り,「職員室での生活指導」を行っている学校があったようで,コメントでご意見をいただくことができました。たいへんありがとうございます。

 おかげさまで,いくつかの問題が浮き彫りになっています。

 ① 他の教師が見ている前で指導させないと,暴言や暴力をふるうおそれのある教員がいる。

 ② こういう教師が行う「密室」での生活指導は,子どもだけでなく,教師たちもおそれている。

 ③ 職員室に生徒を入れることに抵抗がなく,当然,職員室内で指導することへの抵抗感がない。

 ④ 他の教員や生徒の前に「さらす」ことを「透明性」という理由で正当化している。

*******************

そうとばかりは言えないと思います。
おそらく問題の少ない学校にお勤めかと推測しましたが、
いかがでしょうか。私のところでは、生徒指導は全教員で
行うことを基本とし、職員室で指導することも多いのです。
事が重大であれば別室で、複数の教員で対応しますが、
遅刻指導、服装指導、日常の生活態度に対する指導は、
学年主任を中心として、職員室で指導しています。
当然、教頭も室内にいますので、
学校の置かれた状況や、生徒の現状は管理職者として
十分に把握できます。
(依然、密室での教師の暴言や暴力もなくなりませんし)

「社会では大勢に、自分の行動が見られているのだから
ちゃんとしよう」という自戒や今後の行動を、自ら矯正させる
チャンスなのではないかとも考えます。
他の生徒の目に触れることが問題であることは認識
していますが、いろんな面で透明性を求められる職場です。
密室化しない方が、良いような気もします。
お互い大変な仕事ですが、その分、喜びも多いと思います。
がんばりましょう。

*******************

 まず,私の最初の中学校勤務は,自治体の中で「最も生活指導が厳しい」と評判のところで,どこからどうみても完璧な生徒をつくろうとしていて,教師の側も全く気が抜けないところでした。

 全国大会でトップになれる部活が複数ある,このような学校では,あまり「丁寧な指導」は行われませんでした。指導されるべき場面があれば,すべてその場で行われ,「またあとで」ということはあまりない。

 服装,挨拶,忘れ物・・・すべて「その場」での指導です。他の生徒が見ている前で,ということ。

 職員室がせまいせいもあって,生徒は職員室内の教師に用事がある場合は,入口のところで呼んで,職員室の外に出て来てもらわないといけない。

 考えてみれば,ありとあらゆる「機密文書」であふれているのが職員室という場所で,生徒の入室を許可すること自体,あり得ないという学校も少なくないでしょうね。

>「社会では大勢に、自分の行動が見られているのだからちゃんとしよう」という自戒や今後の行動を、自ら矯正させるチャンス

 という趣旨ならば,そのとき,その場での話が最善でしょう。

 わざわざ職員室まで連れてくる必要はありません。

 二校目の学校は,全く逆で,自治体の中で,すさまじい荒れで「ワースト3」,教員は3年たったらすぐに異動してしまう,そんなところでした。

 はじめ,生徒が職員室に勝手に入り込み,ソファにふんぞりかえっている場面にでくわしたとき,直ちに職員室への入室禁止と,ソファの撤去を決めました。

 生徒指導は,それこそきりがない学校でしたが,職員室内で指導したのは,生徒が勝手に入って来て中で暴れた時と,廊下で破壊行為を続けていた生徒をかかえて連れ込んだときくらいでした。

 職員室は,指導はおろか,入室さえ禁止するのが当たり前だと思っているから,

 「職員室での生活指導は最低」と言っているわけではありません。

 一番は,繰り返しになりますが,

 生徒の心の健康のためです。

 そのことが十分にご理解できないような学校は,やはり私の目から見ると,特殊です。

 人間は習慣の奴隷といいますが,全く異なる指導方針の私の学校の話など,きっと耳にされたことはなかったでしょう?

 多くの中学校では,子どもの心にきちんと寄り添えていません。

 すべて,教師の都合中心でものごとが進みます。

 「全教員が全生徒の生活指導する」のは当然のことですが,

 わざわざ服装指導などを,職員室にいる全教員がするわけではないですよね。

 大きな「方針」と,実際の「指導」との区別ができていない例は指導主事時代にもよく耳にしています。

 もし先生が,通勤途中で接触事故をおこしたとき,教育委員会の事務局の中で,職員が見ている前で指導室長か教育長の前に立たされて,事情を聞かれている場面を想像できますか?

 職員室で生徒をさらしものにすることに,異論を述べる教員はいないのでしょうか?

 それで問題は解決しますか?

 生徒指導は,「密室」で行われるべきこと(プライバシーにかかわることがたくさん出てくる場合)もありますが,職員室でなければ「密室」というのは,あまりに柔軟性に欠ける学校です。

 要は,生徒が心を落ちつけられる場所で,「話をする」。

 それが大事,ということです。

 大勢の教師に「見世物」にされることで,事態が改善されるとは思えません。
 
 誤った方法で先生たちが「頑張っている事例」はこのブログで紹介してきました。
 
 そんなお暇はないでしょうが,どうかご参照ください。

 職員室に生徒が入る習慣がある,という学校については,また別の機会に所見を述べようと思います。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より