【小学校教育改革】 植民地教育からの脱却
そうか,あれは「植民地教育」だったのだ!
ということに気づいたのは,「植民地教育」の意味を,「世界大百科事典 第2版の解説」で知ったからです。
小学校における「学級王国」の教育を定義すれば,
小学校の教師は,担任になると,学級の児童たちを自分自身がつくる秩序・文化に同化させ,担任教師に依存して生きる意識を植えつけることを目的とした教育を行う。しかし,子どもにとってみれば,これは自分が本当に必要としている教育の権利を奪われ,支配者としての担任教師の教育を押し付けられて,それを自分のものにするように強制される。一連の非教育体系に他ならない。
ということになりますね。
こういう状況だけは,避けなければ。
「あれ」にあたることを,みなさんはどれくらい,思い出せますか?
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植民地教育は,反発心を起こす力がなければ,きれいに染まる。
小学校で鍛えられたその力は,中学校では部活動で生かされるのかもしれませんね。
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