ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 教師の都合ではなく,子どもの心を最重視する学校へ | トップページ | 記事の封印 »

教育委員会が手を焼く「大きい方の子ども」たち

 産経新聞の2週間前の記事に,こういうのがあったようです。

*************

 印南町教委によると、教諭は保護者面談をしていた7月下旬、フェイスブックで「明日のモンスターは一番態度悪い!来なくて良いのに…」「モンスター、態度悪い上に遅刻かよ!」「おーわった♪おーわった♪モンスターやっつけた」などと書き込んだ。誰でも見られる状態だった。

*************

 40代の女性教諭の「本心」が,ありのままに表現されていたフェイスブック。

 こんなブログもかつてはありましたね。

 こういうことに,普通の教師たちは,なぜ憤らないのか。

 それは,みんな同じようなことを感じているからでしょうね。

 「よくぞ本音を語った!」なんてとこでしょう。

 ・・・・・。

 教育委員会は,このような「事件」がおこると,「研修」を強化しなければいけなくなる。

 ICT教育なのか,道徳教育なのか?

 そもそも,教師の「教育」は可能なのか?

 学校には,自浄作用がはたらかない。

 かといって,教育委員会の「洗浄作用」も効き目はない。

 我が子を公立学校に通わせる親は,もはや「教師は敵」「教師は悪魔」だと思って対決していかなければならない時代なのか・・・・?

 こういう事件が起こるたびに,

 「信頼回復につとめ・・・・・」というコメントが出されるが,「回復」?という言葉すら使えない学校も増えてくるでしょう。

 黙々と,「事件」を起こし続けてくれる人たち。

 教育委員会の仕事は,たいへんだということがおわかりになりますか?

 小さい子どもと,大きい子どもの面倒ばかり。

 大きい子どもの方が,本当に手がかかってしょうがない。

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 教師の都合ではなく,子どもの心を最重視する学校へ | トップページ | 記事の封印 »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 教育委員会が手を焼く「大きい方の子ども」たち:

« 教師の都合ではなく,子どもの心を最重視する学校へ | トップページ | 記事の封印 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より