「2番打者」らしい教師
野球をあまりご存じないと,よくわからない話かもしれません。
野球をある程度ご存じの方だと,タイトルだけ見ていただいて,どれだけ想像(妄想?)できるかで,その方の経験がわかります。
もし,「2番打者らしさ」を,「送りバントが上手」「比較的小柄で器用」というイメージでとらえていらっしゃるならば,伝統的を重んじる,悪く言えば,型にはめるのが好き,そういうタイプの方で,
自分を犠牲にして,生徒たちや他の教師たちのために尽くすことに生きがいを求める
という教師を思い浮かべられるでしょうか。
そういう「2番打者」らしさを,自身では,どのように発揮されてこられたでしょうか。
授業での「送りバント」とは何でしょう。
生徒が前に進む=理解したり,理解したことを表現したりするために,教師が犠牲になることですね。
教師の犠牲とは何でしょう。
ここが授業とは言わず,教育で最も重要な「ツボ」の一つです。
「送りバント」が成功すれば,得点のチャンスが拡大します。
授業の中で,教師は「送りバント」をどのくらい成功させることができるでしょう。
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最近は,「型破りな2番打者」も登場しています。
「2番目の打者」という考え方に基づき,長打力もあり,打力がクリンアップに匹敵する,そういう選手です。
授業には導入というのがあるのですが,導入に力を入れすぎてしまい,展開に入ると生徒の学習熱もクールダウン,なんていう場合があります。
威圧的な「2番打者」は,導入でアップをして,展開では温まった体を一気に動かすような,そういう「起爆剤」的な材料を繰り出す。
こういう授業は毎回は難しいかもしれませんが,「4番打者のようなホームラン」が打てる選手だ,ということがわかると,ピッチャーは「警戒」します。
生徒は「期待」してくれます。
この「期待」というのが,何よりも大切なものです。
教師は,子どもの成長を「期待」する。
子どもは,教師の「器用さ」「意外性」を「期待」する。
「期待できる環境」が教育を変えるためのキーワードです。
「子どもへの期待をもてない」教師は,「2番打者」失格です。
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