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とぼける教師や大人たち

 いくつかの仕事(to do リストに載せるようなもの)を同時並行で抱えていると,

 ときどき優先順位がわからなくなることがあります。

 特に集中力が必要な仕事が混じっているとき,また,その遂行中に,

 重要度はさほど高くなくても,緊急性が高い問題が発生した場合,

 瞬時に反応できるか,

 「とぼけて見て見ぬをする」か,

 どちらのタイプの教師かを子どもは簡単に見抜いてしまいます。

 だから,それぞれの教師に対する「反応」をするようになる。

 「~しなければならないはずでしょ」

 の言葉に,

 「そんなこと知りません」と言われてしまうのは,恥ずべきことです。

 別の教師のときには,注意を受けるようなことをしない,その事実を知っていれば。

 最悪なのは,子どもに注意もしない,問題も放置しておく,・・・これです。
 
 こういう「とぼける教師たち」の典型を,「いじめ」をめぐる報道の中では

 随所に見かけることになる。

 そして,教育ブログの中にも。

 重要度も,緊急性も,すべて「自分にとっての問題」が優先される。

 「組織にとっての問題」は「なかったことにしたい」・・・・・こういう動きになるのは,組織の人間ならわからなくもないでしょうが,組織には,そんなことはどうでもいい,すべて「自分にとってのことが優先だ」という人がいる。

 これを,教育の世界では,「個人の尊厳」という言葉で正当化しようとする。

 しかし,この「個人」は「教師自身」のことで,「子どもの尊厳」などは二の次である。

 そんな人間がいる。

 「教育の,どこに,問題がありますか?」なんて開き直る人間でも,

 いざ,自分の身に火の粉がふりかかると,

 躍起になって振り払おうとする。

 守りたいものは,子どもではなく,自分なのです。

 これが怒りの源になるのです。

 子どもに降りかかる火の粉には目もくれない大人たち。

 自分の利益しか見えてないような人間たちがよく使う言葉があります。

 「それがどうかしましたか?」

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より