とぼける教師や大人たち
いくつかの仕事(to do リストに載せるようなもの)を同時並行で抱えていると,
ときどき優先順位がわからなくなることがあります。
特に集中力が必要な仕事が混じっているとき,また,その遂行中に,
重要度はさほど高くなくても,緊急性が高い問題が発生した場合,
瞬時に反応できるか,
「とぼけて見て見ぬをする」か,
どちらのタイプの教師かを子どもは簡単に見抜いてしまいます。
だから,それぞれの教師に対する「反応」をするようになる。
「~しなければならないはずでしょ」
の言葉に,
「そんなこと知りません」と言われてしまうのは,恥ずべきことです。
別の教師のときには,注意を受けるようなことをしない,その事実を知っていれば。
最悪なのは,子どもに注意もしない,問題も放置しておく,・・・これです。
こういう「とぼける教師たち」の典型を,「いじめ」をめぐる報道の中では
随所に見かけることになる。
そして,教育ブログの中にも。
重要度も,緊急性も,すべて「自分にとっての問題」が優先される。
「組織にとっての問題」は「なかったことにしたい」・・・・・こういう動きになるのは,組織の人間ならわからなくもないでしょうが,組織には,そんなことはどうでもいい,すべて「自分にとってのことが優先だ」という人がいる。
これを,教育の世界では,「個人の尊厳」という言葉で正当化しようとする。
しかし,この「個人」は「教師自身」のことで,「子どもの尊厳」などは二の次である。
そんな人間がいる。
「教育の,どこに,問題がありますか?」なんて開き直る人間でも,
いざ,自分の身に火の粉がふりかかると,
躍起になって振り払おうとする。
守りたいものは,子どもではなく,自分なのです。
これが怒りの源になるのです。
子どもに降りかかる火の粉には目もくれない大人たち。
自分の利益しか見えてないような人間たちがよく使う言葉があります。
「それがどうかしましたか?」
« 教師の「そのくらいにしておけよ」はいじめ荷担者の言葉 | トップページ | 次は「非言語活動の充実」~それも子どもではなく教師の »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「いじめ問題」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 現場感覚のない人が社会感覚のない人にアドバイスを送る教育の世界の不思議(2018.12.01)
- いじめや暴力行為が多い自治体の「いじめ」対策の共通点(2018.10.31)
- いじめがない(認知されていない)学校で,いじめがある学校よりもたくさん実施されていることとは?(2018.10.30)
- データから見える「いじめ」発見の難しさ(2018.10.29)
「「ゆとり教育」」カテゴリの記事
- 「働き方改革」の前に必要な「学び方改革」(2017.07.01)
- 義務教育でアクティブ・ラーニングに取り組ませる目的(2017.05.21)
- 中学校の先生は,同時にいくつの仕事を進めているか(2017.05.01)
- 理解するよりも誤解する人が多い教育論(2017.03.13)
- 小学校による子どもの違い(2017.03.09)
「教職教育」カテゴリの記事
- 「総合的な学習の時間」の指導ができるように教育できるのはだれか(2019.11.24)
- 生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる(2018.12.26)
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
「教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 偶然の重なりと緻密な演出~インスタレーションから受けた刺激(2018.12.22)
- 子どもから有能感を奪い取る方法(2018.11.25)
- 量より質が大事なものと,質より量が大事なものとは?(2018.04.23)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
この記事へのコメントは終了しました。
« 教師の「そのくらいにしておけよ」はいじめ荷担者の言葉 | トップページ | 次は「非言語活動の充実」~それも子どもではなく教師の »
コメント