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授業の達人をめざす前に

 教育活動の成果というのは,プラス方向のものしかないと思っている人がいますが,それはとんでもない誤解です。

 たった1日で,ふりだしに戻るとか,「悪い方向に流れる」ことは,いくらでもあります。

 たった一言で,と表現をかえてもいいですし,一瞥で,と言ってもよいです。

 教育の成果は,個人として,また,多くの人間の働きかけの総和によって「何となく」できあがっていくと感じられる面がありますが,ときとして,決定的な崩壊場面が訪れます。

 たとえば,教師の生徒個人に対する「期待度」がわかってしまうときです。

 教科指導の世界では名が知られているのにもかかわらず,生活指導がうまくいかない教師をどう考えたらいいのか。

 同業者の教師には好かれるのに,子どもからは嫌われてしまう教師をどう考えたらいいのか。

 贅沢な悩みかもしれませんが,本当の意味で,子どもの成長を願うのであれば,教育の「ツボ」を間違えないでほしいと切に願います。 

 子どもの成長のあかしを,「何となく感じる」のではなくて,「はっきりと知る」ことができる言葉かけをしている教師を見たことがありますか? 

 そういう教師から学ぶべきなのは,成長を「はっきりと知る」言葉かけをするまでの,長い長い子どもたちとのやりとりです。

 同じ言葉を投げかけても,人が変われば響き方が変わるのです。

 それがわかっていない人たちが,授業で失敗している。

 授業の中での「失敗状況」は,いたるところで見られます。

 それは,授業・・・学習というものが,本来,「そういうもの」だからです。

 「授業の達人」といっても,その人は,何人の子どもとどのくらいの時間,「対話」をしていますか?

 特定の子どもとの「対話」という「偏りの時間」をどう考えたらよいでしょう?

 「授業が上手になりたい」という若い先生たちの強い願望はわかりますが,

 「本当になりたい自分」は,「それですか?」と問いかけたくなるときがあります。

 逆説的な言い方になりますが,意識としては,「授業をいかに下手にやるか」の方がよほどましでしょう。

 最も大切なことは,主役は子ども。生徒が主役である,ということです。

よくわからない・・・・そういう状況に子どもをおくことができれば,授業は半分,成功しています。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より