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子どもへのまなざしでわかること

 どういう教師か,

 どういう教師になりそうな人か,

 ということは,子どもへのまなざしでわかります。

 子どもへのまなざしを分析できる専門家はいるでしょうか。

 いたらぜひとも教員採用の場面で活躍してほしいものです。

 昨日は,大学生が授業を見学に来てくれました。

 私が確認してみたかったのは,大学生の子どもを見る目でした。

 昔,ある指導主事が,初任者研修で「死んだまなざしをしている人間がいる」という話をしたということを,参加者から聞いたことがありました。

 研修の場では,仕方がないかなと甘いことも考えますが,

 これが現場で,ということになったら,話は別です。

 子どもから,「先生,何かあったのですか?」「具合悪いのですか?」などと声をかけてもらえるような「死んだまなざし」なら,普段はそうではないことがわかるのですが,

 恒常的に「まなざしが生きてない人」が,教員の中には見受けられます。

 少なくとも,こういう人だけは教員に採用してほしくない・・・・その優先順位?を考えてみるときに,かなり上位に来そうなのが,この「まなざし」です。

 ふと,ある組織の人たちが目に浮かびました。

 考えてみたら,そこに「生きたまなざし」はどこにもなかったですね・・・。

 「死んだまなざし」に写っていたものは,何だったのでしょう?

 ちなみに,子どもは材料ひとつで授業へのまなざしが一変します。

 大学生はさすが若いからか,ある教育機器で資料を提示したところ,急に強い反応を示してくれました。

 こういうのを使いこなせる世代が,これから現場には増えていくのでしょう。

 電子黒板なんて必要ありません。

 大画面テレビと,タブレット機だけあれば十分です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より