ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 文書作成が仕事の「事務方」と教育が仕事の「現場教師」との距離感 | トップページ | 慣れることに,慣れてはいけない »

教師による個人差が大きい価値観

 すでに先週からスタートしている中学校もあるかと思います。私の学校は1日の土曜日から始まりました。

 中学校に限らず,始まりから生活指導で振り回されているところも多いでしょうね。

 中学校の教師の中には,子どもを振り回すのが本職の人もいれば,振り回されて目が回っている人もいる。

 様々です。

 みんな目が回っていて,冷静さを欠くとき,ふと,本当にあるべき指導の姿を中学生が「つぶやく」こともあります。

 子どもの声には,常に鋭く反応できる癖をつけておかなければなりません。

***************** 

 酒井穣著『リーダーシップでいちばん大切なこと』(日本能率協会マネジメントセンター)の60頁で紹介されている図に関する一言です。

 人間の自由を規制する価値観には,四種類あり,個人差が大きい順に並べると,

 「美醜」「善悪」「損得」「快・不快」というものがあるとのこと。

 これを見てまず感じたことは,

 中学校の教師の場合は,「快・不快」の価値観が,案外,人によって大きく異なっているだろう,ということです。

 教育の世界ですから,「損得」という価値観が顔を出すだけで「不快」になる人もいれば,そうではない人もいる。

 たとえば運動会のクラス対抗リレーがあったとして,バトンを渡すコツを自分のクラスの子どもだけに教える教師がいるとする。

 これを,「不快」と感じる人がいるかどうか。

 「担任なら当たり前」という教師が多いとき,「不快」と感じる人がどのくらいいるのか。

 教師の号令によって,生徒がきちんと整列している。

 これを,「快」と感じるか,「不快」と感じるか。

 生徒が自分に挨拶をしてくれない。これを「不快」と感じるかどうか。

 個人差が,大きいのではないか,と思われます。

 ここでは,別に,その「個人の価値」を見定めよう,という意図があるわけではありません。

 「善悪」については,どうか。

 これは,案外,教師集団の場合は,違いがないのではないでしょうか。

 また,教育現場では,「美醜」の価値観の違いが問題になる場面は少ないのではないでしょうか。

 私の思い込みかもしれません。
 
 筆者が指摘しているように,「快」「不快」の価値観は,基本的に他の価値観とも連動しているものです。

 教師自身の「快」の感情で突っ走っているように思える人を,どう「抑える」か。

 相当難しいチャレンジです。

 教師が「快」の感情で突っ走り,中学生の側は「不快」で満たされる空間は,外部の者でないとわかりにくい。

 自分自身がそういう状況に陥っていることを,どのように「理解」し,どう「抑える」か。

 当面の課題にしたいと考えています。

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ

« 文書作成が仕事の「事務方」と教育が仕事の「現場教師」との距離感 | トップページ | 慣れることに,慣れてはいけない »

教育」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 教師による個人差が大きい価値観:

« 文書作成が仕事の「事務方」と教育が仕事の「現場教師」との距離感 | トップページ | 慣れることに,慣れてはいけない »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より