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慣れることに,慣れてはいけない

 多くの人が語っている「教訓」の一つでしょう。

 教育現場には,多くの「馴れ合い」が見られます。

 「けじめのない」学級,学校では,

 チャイムと同時に授業が開始できません。

 教師が,教室に来ない。

 生徒が,授業の準備をしていない。

 開始から1分後に,教師が入室。

 挨拶後,生徒が廊下のロッカーに教科書やノートを取りに行く。

 こういう環境が,「馴れ合い」の一例です。

 「学校生活に慣れること」・・・・中学校1年生の入学時には,「望ましい姿」として,この言葉を使います。

 しかし,これが,「時間を守らないことに慣れること」

 「忘れ物をして叱られることに慣れること」

 「友達からいじめを受けることに慣れること」であってはならないのは,当然のこと。

 教師の側からすると,手を抜いた授業をするのに慣れること。

 これを戒めなければなりません。

 教師にとって怖いのは,「生活指導」への「慣れ」です。

 ワンパターンではいけません。

 簡単に,問題行動を「類型化」してはいけません。

 問題が起こる背景は,子どもによって,状況によって様々です。

 「慣れてきたときが,一番危ないとき」という話は,

 様々な職業でも言われていることでしょうね。


 「人間は習慣の奴隷」という言葉も,以前にこのブログでもご紹介しました。

 改めて,自分が「慣れてしまっている」問題点を見つめ直していきたいと思います。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より