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病気を揶揄する表現者たち

 安倍元首相の「腹痛」を揶揄した番組出演者,ツイッターでの発言者が批判されているそうですが,

 こういう人は教育ブログにも存在しますね。

 自分を不愉快にさせた個人を攻撃したいわけですが,それに「巻き込まれている人」の存在が目に入らない。

 忠告に,一切,耳を貨さず,同じような「病気」「精神疾患」などの解説を繰り返す。
 
 解説するのが大好き?なのが「統合失調症」。

 こういうタイプの人間が教育現場に立つと,どういう失態を繰り返すかまで教えてくれているのに,一向に改善される見込みがない。

 人の心の痛みがわからない。

 こういう人に,「自分も傷つけられたんだから,相手にも同じ思いをさせてやろう!」と言っている子どもを,どう指導できるのか。

 指導できるわけがない。

 「そういうやり方で,人を馬鹿にすることができるんだ,攻撃できるんだ」と子どもに学ばせているブロガー。

 テレビのワイドショーをにやにやしながら視聴している子どもを想像すると,ぞっとします。

 低俗な番組やコメンテーターだけが悪いわけではないでしょう。

 子どもたちに接する機会があるすべての大人は,どんな言葉を発しているでしょう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より