授業研究の効果的な方法
小学校では,子どもは
担任の教師に「気に入られるように」行動するのが当然です。
いつもそばにいる教師は,一人しかいませんから,ふつうのしつけを受けている子どもはそうします。
「関心・意欲・態度」も評価されるのですから,そういう行動をとることの「重要性」はますます増しています。
ということは,子どもの様子を見ても,教師の指導力は判断できないようになりました。
○○的な事象に興味があるから,積極的な態度で授業を受けているとは限らず,
担任の教師に認められたいから,褒めてほしいから,そうしているかもしれないのです。
(どちらかというと,こっちの可能性の方が高いでしょう)
教師にとって,純粋にどれくらいの「授業力」がついたかを試そうとするのならば,
自分の学級で授業をしてはいけません。
子どもによる教師への「思いやり」,教師による子どもへの「思いやり」の要素が多分に入り込んでしまうので,
教師や子どもの「本当の力」がわからないからです。
これを,「学級指導の力」を調べるための研究授業,というのなら,話は別です。
しかし,「授業の力」は,「評価」の呪縛から解放された子どもを対象にしたものであるべきです。
あるいは,これからの「授業研究」はこのようにしたらどうでしょう。
授業が終わった後,たとえば子どもが35人,参観者が35人だったら,子どもと参観者の1対1の面接を実施するのです。
参観者は,授業の中で,「自分だったらこういう発問をするだろうな」と思いついていたとしたら,それを聞いてみます。
また,授業中の発表の意図をもう少しくわしく聞いてみます。
授業研究のときにしかできないことは,子どもが実際に授業を習っていない人に直接質問を受けたり,考えを伝えたりすることです。
大事なのは,子どもから「ホンネを引き出す」ことです。
「普段の授業は,本当につまらない」なんていう貴重な「証言」をしてくれる子どももいるかもしれません。
授業後の協議会がいい意味で盛り上がるとしたら,優れた授業研究になるでしょうね。
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