ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 内田樹の『街場の文体論』と教師の言葉 | トップページ | 現場に出て,驚くこと ~そんな「いじめ対策」があるの?~ »

授業研究の効果的な方法

 小学校では,子どもは

 担任の教師に「気に入られるように」行動するのが当然です。

 いつもそばにいる教師は,一人しかいませんから,ふつうのしつけを受けている子どもはそうします。

 「関心・意欲・態度」も評価されるのですから,そういう行動をとることの「重要性」はますます増しています。

 ということは,子どもの様子を見ても,教師の指導力は判断できないようになりました。

 ○○的な事象に興味があるから,積極的な態度で授業を受けているとは限らず,

 担任の教師に認められたいから,褒めてほしいから,そうしているかもしれないのです。

 (どちらかというと,こっちの可能性の方が高いでしょう)

 教師にとって,純粋にどれくらいの「授業力」がついたかを試そうとするのならば,

 自分の学級で授業をしてはいけません。

 子どもによる教師への「思いやり」,教師による子どもへの「思いやり」の要素が多分に入り込んでしまうので,

 教師や子どもの「本当の力」がわからないからです。

 これを,「学級指導の力」を調べるための研究授業,というのなら,話は別です。

 しかし,「授業の力」は,「評価」の呪縛から解放された子どもを対象にしたものであるべきです。

 あるいは,これからの「授業研究」はこのようにしたらどうでしょう。

 授業が終わった後,たとえば子どもが35人,参観者が35人だったら,子どもと参観者の1対1の面接を実施するのです。

 参観者は,授業の中で,「自分だったらこういう発問をするだろうな」と思いついていたとしたら,それを聞いてみます。

 また,授業中の発表の意図をもう少しくわしく聞いてみます。

 授業研究のときにしかできないことは,子どもが実際に授業を習っていない人に直接質問を受けたり,考えを伝えたりすることです。

 大事なのは,子どもから「ホンネを引き出す」ことです。

 「普段の授業は,本当につまらない」なんていう貴重な「証言」をしてくれる子どももいるかもしれません。

 授業後の協議会がいい意味で盛り上がるとしたら,優れた授業研究になるでしょうね。

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ

« 内田樹の『街場の文体論』と教師の言葉 | トップページ | 現場に出て,驚くこと ~そんな「いじめ対策」があるの?~ »

教育」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 授業研究の効果的な方法:

« 内田樹の『街場の文体論』と教師の言葉 | トップページ | 現場に出て,驚くこと ~そんな「いじめ対策」があるの?~ »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より