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教育現場における教師が教師をターゲットにする「いじめ」

 これから教師になろうとする人にとっては,見て見ぬふりができない話題でしょうね。

 教職課程の「勉強」で,「職場での『いじめ』にどう対処するか」という内容はあったでしょうか。

 難しいのは,

 「いじめ」は子どもの世界の話,そうでなければ「嫁姑」という家庭内の話,そういう認識が一般的であることでしょう。

 社会人たるもの,競争を勝ち抜くため,組織内ではどんなに厳しいことでも耐えるべきだ,なんていう高度経済成長期的?発想も,依然として残っている職場も多いことでしょう。

 教師が教師からいじめを受ける?

 何を甘ったれたことを・・・なんていう反応をしそうな教師ばかりが目に浮かびます。

 あるブログで目にしたのは,

 「部活動の指導がなってない」と「いじめ」られた教師の話です。

 それに該当する教師は,すべての中学校にいるのではないか,と思われる事例です。

 授業もうまくできない,問題行動を起こす生徒を叱ることができない,部活動の指導も,専門的な知識も技能もないので,子どもにばかにされる,・・・・・職について1か月もしないうちに,

 「辞めたくなった」という経験は,多くの教師がするでしょう。

 学校現場に必要なのは,「辞めたくなった」人に,「教育的な言葉をかけてあげられる先輩教師」なのですが,子どもが減ってどんどん小規模化している学校では,なかなかそういう「いい先輩」にめぐりあえない可能性もあります。

 だから,初任者研修では,すべての初任者が,毎回,カウンセリングを受けるようなしくみを早急につくるべきでしょう。

 臨床心理士もピンからキリまでいますから,少なくとも2~3人と話ができた方がよいです。

 そこで,「カウンセリング」の手法も体得することができ,相談できる人ができ,苦しさを共有できる人ができることは,教員生活を送る中で,大きな財産となることでしょう。

 (内緒の話ですが・・・・行政の側は,カウンセラーを通して,まだ組織に染まりきっていない教師たちから,現在の教育現場の問題を次々に把握することができるようになります。)

 教師の,教師に対する「いじめ」の具体的事例,

 もっともっと,公にしてもいいのではないでしょうか。

 そうすれば,もしかしたら,「昔は,フォローできる人が学校にいた。だから,厳しいことを若い人には言えた。今は,すぐつぶれてしまうから,何も言えなくなった。だから,何もできていないのに堂々としている教師が増えた」なんてことがわかってくるかもしれません。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より