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いじめは,癌ではなく,感染症のイメージで

 いじめは,「A」や「Aたち」からのはたらきかけで発生します。

 癌のように,自分の体の中で勝手に発生するものではありません。

 どうしても「病気」にたとえたいのなら,「感染症」のイメージの方がよいかもしれません。

 同じような行動をされても,「うつる」人もいれば,「うつらない人」もいる。

 また,「かかっているのに気づかない」という場合もある。

 受験のときのインフルエンザのように,

 「かかっていることを隠す」場合もある。

********

 「いじめ」を覆い隠しているのは,

 「いじめ」を受けている子どもの「生き生きとした明るい姿」だったりします。

 また,「いじめ」を隠すクラス全体の「空気」も,非常にデリケートなものです。

 それに気づける教師はベテランでもごくわずかしかいないかもしれません。

 生徒の方の気が緩む分,教育実習生のように,来たと思ったらすぐ帰る,ような立場の人の方が気づきやすいという場合もあります。

 あるいは,飛び込みの授業をするような,外部の教師の方が。

 先日,私が行った飛び込み授業では,すばらしいことをノートに書いているのに,発言しない子どもが気にかかりましたが,これはかつて受けたことがあるような「いじめ」を避けるためだ,ということを後で知りました。

 「いじめ」は,「今,起こっているもの」

 と,「これから起こるもの」,「いつ起こるかわからないもの」など,様々です。

 子どもは,「これから起こるもの」がわかっている場合は,自らその災難を避ける努力をします。

 これも,起こってはいませんが,「いじめがある」と言ってもよい状況です。

 強力な「病原体」があるのです。
 
 「いじめ」の対象とならないようにする戦略は,中学校になるとかなり高度化しています。

 最もわかりやすい例は,「いじめる側にまわる」というもの。あるいは,「傍観者になりきる」というもの。

 「いじめられている生徒の側に立つ」「先生に相談する」など,もってのほか。

 自分が「いじめ」の対象になるリスクが最も高いのがこれでしょう。

 いじめられた経験がない人は,

 「いじめられている人が,先生に相談すればいいのに」

 「いじめられている人が,いじめている人に直接言えばいいのに」

 などと考えてしまいますが,

 風邪で発熱している人が,裸で冷蔵庫に入るようなものです。

 熱を下げようとする気持ちは分かりますが,さらに症状は悪化する。

 風邪のように,いつかは治るような面もありますが,そうではない場合もある。

 「いじめ」解決が難しいのは,

 下手な対処法をとると,逆に「いじめ」がより発生しやすくなる,という面もあることです。

 ウイルスのように,その「強さ」が進化する場合があることも,忘れてはなりません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より