文書作成が仕事の「事務方」と教育が仕事の「現場教師」との距離感
「深い溝」というと,「越えられないもの」と受け止められてしまうので,避けた方がよい言葉かもしれません。
「距離が離れすぎている」のなら,どちらかが,どちらかに「歩み寄る」ということができそうな気がします。
私も役所勤めをしていたからよくわかるのですが,
役所では「文書をつくること」が仕事です。
「調査のまとめ」「出張の依頼」「資料の作成」などなど。
すべて「文書」作りが基本で,それが出来上がっていれば,「仕事は終わり」という側面があります。
しかし,教育現場と言うのは,子どもとの「対面」,課題への「対応」の時間がほとんどであり,「文書作成」というのが「すべてが始まる前」と「終わった後」の仕事ということになります。
8月18日の神戸新聞NEWSによると,尼崎市教委が,学校の作成する「いじめ報告書」を一新し,「加害者への対応」と「被害者への対応」を分けて詳細に記載させ,提出をこれまでの月1回から事案を把握後,速やかに報告するよう求めたそうです。理由は,市教委が「学校側にアドバイスできるよう体制をつくる」ため。
文部科学省児童生徒課への取材もしてようで,
「全国でも先駆的な取り組みと言える。学校側が報告書を書くために細かい調査をすることにつながり、いじめ解消に効果的ではないか」
と回答した模様。
尾木ママにも取材は及んでおり,今回の「いじめ報告書」については,「高く評価できる」一方で,
「実際のいじめ件数は市教委が把握している何十倍もあると思われ、今の職員数で到底対処できるものではない。いじめが起こらないようにする教育を考えていくことも必要ではないか。」と回答。
「いじめが起こらないようにする教育」は,今,法令に基づいて学校が取り組んでいる教育そのものなわけですが,大事なのは,まず「いじめに対応する」こと。
しかし,それを事細かに教育委員会に情報を上げることが求められる,ということになると,
今の教育現場の場合は,「対応だけならまだしも,いちいち報告しなければならないのは,めんどうくさい」から「いじめはなかったことにしたい」という圧力が内部でかかってくる心配をしなければならないのです。
事務方は文書による評価しかできないので,評価をたくさんしようと思えば,文書をたくさん提出させるようになる。
これが大学も同じようになっていて,今,教育者・研究者にとっては「本務に支障をきたす」事態になっているのです。
学校現場の教師も大学の先生も,頭がいい人は,「高い評価を受けるための文書の書き方」を知っています。
ガイドラインにのっとって,「やるべきことをやっている」ことを書けばよい。
そして,最初はわざと伏せておいた「さらなる改善策」を入れてその成果が出た,なんて記せば,文書でしか判断できない人間の目をひきつけることができる。
高い評価を受けるためには,内部で「高い評価が出せる評価」も行うのです。
「いじめは減ったと思うか」「それはなぜか」というアンケート結果を,ごく短期間の成果を1年間の成果のように見せかければ,きっと「高い評価」が得られるものになる。
こういう仕組みを,おそらく,「事務方」も知っている。
そして,「そういう報告」を求めている。
これが,教育がいつまでたってもよくならない原因の一つなのです。
尼崎市教委は,「学校側にアドバイスできる」立場なのはわかりますが,アドバイスされないと経営できない校長を任用していることをばらしてしまっていいのでしょうか。
任用しているのが兵庫県教育委員会で,尼崎市教育委員会としては,「これだけ力のない校長たちを振り向けてきたあてつけ」を県教委にしていると考えることもできそうです。
「右へ倣え」しそうな教育委員会は,一度,「校長とは何か」を問い直してほしいと思います。
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