ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 本質の部分ではなく,「つけたし」に目が行く子ども | トップページ | 「知識」に対する「知識」が足りない教師たち »

カルロスさん VS dolceさんの応酬を教材化する

 悪口を言った言わないでもめる女子中学生の指導をしていると,

 毎年,dolceさんタイプの「戦い方」をする子どもに必ず出会います。

 「私は,そんなこと言っていない。あっちが,勝手にでっちあげたことです

 「いつ私がそんなことを言った? 何月何日の何時何分に?

 これは相手をやりこめようとする(口を封じようとする)方法の一つで,

 小学生でも使うことがある「戦法」です。

 自分も相手と同じようなことをしているのがわかっているために,少しでも自分が優位に立とうとしてとろうとする「知性的でない」「低レベル」な「戦法」です。

 dolceさんのような大人の場合は,相手に

 「知能に課題がある」「頭がおかしい」と言ってしまうのですが,

 そこまでいったら,もうアウトです。

 「頭がおかしい」人が「頭がおかしい」なんていうことを言う

 なんて始まるのが小学生や中学生のレベルですからね。

 dolceさんの場合は,

>私のプログ記事を読んで、批判することは大いに結構だ。
>しかし「どこに、そんなことが書いてありますか?」と問い返さなければならない、批判とは言えない批判が多いのにも閉口する。

 と書いている自分自身が,まさにそのことをしている。

 私のブログに書いてあることを,dolceさんが曲解して批判を始めたことは,すでに述べました。

 こういう人と「争う」には,

 「同じレベル」になってはいけないのです。

 では,カルロスさんはどのように「反撃」すべきか。

 「第三者」は,どうすべきか。

 学級での自治会の話し合いで,総攻撃を受けることになる人はだれかはわかっていますが。

 「切磋琢磨」を人が避けてしまうような人間にだけはなるな,というのがこの教材のオチです。

***

 なお,「切磋琢磨」の原点,英訳に関しては,コメントで匿名さんが明快な解説があるサイトをご紹介くださいました。ありがとうございます。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ

« 本質の部分ではなく,「つけたし」に目が行く子ども | トップページ | 「知識」に対する「知識」が足りない教師たち »

教育」カテゴリの記事

いじめ問題」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

言語活動の充実」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: カルロスさん VS dolceさんの応酬を教材化する:

« 本質の部分ではなく,「つけたし」に目が行く子ども | トップページ | 「知識」に対する「知識」が足りない教師たち »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より