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カルロスさん・匿名さんに感謝申し上げます(+一言もあり)

 カルロスさんは,中学校の実態もよくご存じのようです。

 私の文章の意図を「ふつうに理解してくれる」小学校の先生は,とても貴重な存在です。

 (もっと理解してもらえる努力をしなければならないのですが・・・・・)

 dolceさんの実践から,私とカルロスさんが感じたものは,共通したものでした。

 子どもが,完全に「見下されています」。

 おそらく,「問題行動を起こす子ども」は,「頭が~」だから,「問題行動を起こす危険がいつもある」。そういう発想がdolceさんにはあるのでしょう。

 「問題行動」を問題視するのではなく,「人間(の頭)」そのものを問題視する。

 そういう教師が多い学校は,簡単に荒れてしまうでしょう。

******************

>言うまでもなく失敗学の先生の提案は生徒と向き合えと言っている。

>人間扱いをせよと言っているのが伝わる。

>決して威圧的で強圧的な指導を言っているとは思われない。

>たとえ警察の介入を求めるようなことを言っても一人ひとりの人間としての責任を問えと言っているのだ。

>教師、学校管理者、教育委員会のそれぞれの立場、そしてそのようなところに追い込まれた生徒たち。

>それに対して批判的な考えの裏に見えるのは生徒を見下した指導者面である。

>差別意識と教師と生徒の関係の考え方は切り離せないものがある。

******************

 正しい読解と,より深い示唆をいただきました。

 ありがとうございます。

 一言,とは,中学校の「部活王国」については,ほとんど「勤務時間以外」の話ですから,

 「勤務時間内」が中心の小学校教師の話と重ねるのはちょっと違うなと言うことだけです。

 匿名さんからは,

>大津市の問題の中学校、教師のチームワークは、問題の隠蔽に使われました。

>チームワークを発揮する能力が無いのでは無いと言うことです。

 というご指摘をいただきました。

 私はこういうのは「チームワーク」と呼びたくないのですが,確かに困ったものですね。

 テレビでは,「いじめがあったことを知っていた」教職員は,ゼロだった,という報道がありました。

 これも,チームワークのなせるわざでしょうか???


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
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    「楽毅」第二巻より