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続・教師を志す上で,心構えとして持っていてほしいこと

 教職を志す人に,読んでもらいたい文章です。

>いじめや暴力等の、学校における望ましくない環境を改善するためには、心が伝わる方法をとらなければならないと思っています。

 この文には,「教師から子どもへ」という言葉を補って読んで下さい。

 こういうことを言える学校は,基本的に荒れていないところに限ります。

 つまり,教師の「心」が子どもに「伝わってはいけない」学校が,「荒れた学校」だからです。

 その場合の教師の「心」とは,「私が標的になるのは嫌だから,安全な職員室にこもっていたい」というものです。

 荒れた学校で,指導力のない教師たちがたくさんいる学校では,

 こういう教師の「心」が生徒に読み取られないよう,最大限に努力する必要があるのです。

 荒れた学校では,「3年間だけ,我慢しよう」という言葉が平気で語られています。

 上のような文章が,「指導力のない教師」によって書かれているんだなあと思えるセンスが大事です。

 正しい「心が伝わる方法」をしっかりと指導していたら,そもそも「いじめ」や「暴力等」は防げるのです。

 子どもから子どもへの心が伝わる教育をしていなくて,

 教師から子どもへと心が伝わる教育をしていればいいなんていうのは,教師のただの自己満足にすぎません

>自ら泥をかぶることなく、いかにも「・・・すればよい」など高みの見物で意見を言っている人

 がそっくりそのまま自分のことを書いているブログですから,どうぞご参照下さい。

>管理的手法とは、校則などをきめ細かく決めて対処しようとする考えです。

 こんな程度の「管理的手法」がまともな「管理的手法」だと考える人がいることは,残念ながら否定できないですね。書いている人が実際にいますから。

 「管理」=「」という短絡的な発想が,指導の幅の狭さ,レベルの低さを物語っています。

 そういう教師や指導しか,目にしてこなかったのでしょう。

 生活指導のレベルの低く,荒れた学校が多い地域では,仕方のないことです。

 こういう人には,「教育課程の管理」「安全管理」「危機管理」という言葉は通用しないのかもしれませんね。

>社会見学や遠足の時、細々と規則をつくる人たちがいますが、私は「服装はどうしますか?」の質問に対し「派手でない服装」と答えただけでした

 それは正解です。

 どんなに荒れている学校の問題行動が多い生徒でも,校外の活動をするときは,「まとも」になります

 社会に迷惑をかけるのではなく,「存在価値のない教師たち」を困らせるために問題行動を起こすわけなので,校外に出ると,「とてもいい生徒」になる場合が多いのです。

 ですから,服装や行動のことで,必要以上に心配することはありません

 学校の外でわざわざ「恥」をかきたくない,という子どもの「心」が伝わっていない教師は,何も言わないのが得策です。

 こういうときだけ,教師が生徒に調子のいい言葉,「信頼しているから」と伝えるのは,「生徒を見下す」指導をしている人間の言葉です。

>君たちは立派だ?

 そういう言葉は,学校に戻った後の,日常生活の積み重ねを見た後,言って下さい。

 また,そういう言葉自体が,「生徒を見下している」証拠なのです。

>別にうるさいことを言わなくても、子どもたちは立派にやる。

>一人も非常識なことをする者はいませんでした

 非常識なことをする者がいない=立派なこと

 荒れた学校でも,これだけ生徒をバカにした教師もいませんレベルが低すぎて,話にならないのです。

 これを「心を尽くして語る」のは,なおさら逆効果です。

 非常識なことをする者がいない=当たり前のこと

 なのです。そういう空気をつくらなければ,「荒れる原因」はなくならないのです。

>いい空気に包まれたら、いじめもないでしょう。

 教師の側が,勝手にいい空気に包まれたような気分になっても,いじめがなくなるわけではありません

 もう一度,前の記事に戻って,この事例と前の事例がきちんとつながるのかどうか,検証してみてください。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より