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「知識」に対する「知識」が足りない教師たち

 教師や元教師がこのようなブログを書くのは,けっこう勇気が必要ですね。

 それは,自分の教育への見方・考え方,理解の幅広さ・深さなどがわかってしまうからです。

 どんなレベルでも,全くそのことが気にならない人だけが,こういうブログを書き続けることができているのかもしれません(私をはじめとして)。

 「匿名さん」から,たいへん貴重なコメントをいただいております。


***************

負の連鎖を断ち切る、とても重要で、簡単なようでもなかなか思うようになりません。

私が考えるに、子供たちに知識ゼロからの正しい知識の構築方法を教えるのが良いと思いますが、あまりにも浅はかな辞書引きをしていたのでは全く無理。

調べるとき、もっと深く、突っ込んだ調べ方を教えないとなりません。
もちろん、型にはめた知識を押しつけたり、個人の曲解を示したりでは、デタラメを教えていることになります。

ゼロから構築すれば、と言っても、すでにいろいろな資料や解説があり、どれがどういう理由で正しいといえるのかということを話せるようになることでもクリーンな知識の構築に役立つと思います。

***************

 今日は,他校の若い先生とお話しする機会があって,

 「知識を教える」ということについて,私の見解を述べる場面がありました。

 「知識」とは,「知識」として教えるものではない・・・・というのが,私の意見です。

 考えたり,調べたり,まとめたり・・・・そういう活動の中で,子どもが理解できた程度のことが,その子どもにとっての「知識」です。

 ですから,「何年にだれが何をしました」ということは,「知識として教える」ようなものなのか,考えてもらいました。

 子どもたちにとって,考えたり,考えついたことを表現する手段として,知識が必要になる課題や場面を設定して,子どもが自分からアクセスしていくものが,学校で「学ぶ」知識だ,という認識が必要だろう,と。

 知識を求める意欲の引き出し方が,

 「テストに出るから」

 ではなく,

 「この課題を解決したいから」

 となるようにすることで,教科の目標は達成されやすくなるのです。


 最低なのは,辞書で引いて,何かわかった気にさせてしまうような教師です。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より