わかりやすい物語が日本を滅ぼす(下)
佐藤優著『帝国の時代をどう生きるか』(角川Oneテーマ21)から,知識人がとるべき態度の課題について書かれた部分を引用させていただきます。
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過去20年間,日本の知識人,特に私の世代以降の知識人は「大きな物語」を作るという作業から逃げ出してしまいました。その結果,知識人という言葉すら,現下日本では死語になりつつあります。知識人はネット右翼,プチナショナリズム,右派系の論壇誌に展開される過激な排外主義的言説について,知的に最低限必要とされる基準を満たしていないと眉をひそめ批判するか,シニカルに無視するといった対応をとっています。私はこのような態度が知識人としての責任放棄のように思えてならないのです。知識人が「大きな物語」を作るという知識人に課された責務を遂行しないから,このような状態になってしまったのです。
この知識人という範疇の中には編集者も含まれます。編集者が,難しすぎる内容は読者に理解されないので,知的水準を下げるという形で本という商品の販売拡大を図ってきました。かつてマルクス主義哲学者の廣松渉氏が本は「誰にも相手にされず,理解されないとしたら,インクのシミにすぎないでしょう」と言いましたが,資本主義社会において,売れない商品には意味がありません。
知識人が,一方において,煩瑣な術語体系の中で,それ自体としては面白い「小さな物語」の構築・脱構築という知的ゲームに熱中し,啓蒙的役割を放棄してしまったために,今日の知的閉塞状況が日本に生まれてしまったのだと思うのです。
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とても長い引用になってしまいました。
「小さな物語」を「わかりやすい物語」に置き換えてみると,日本に危機が訪れている背景に共通したものがあることがわかります。
目先のことだけに,こだわる。
次のこと,次の次のこと…を考えた行動がとれない。
多くの人がそうなりがちなところに,「知識人」も,乗っかってしまう。
「知識人」の範囲をちょっと広げてみて,「教養人」にしてみても,同じ。
「学習人」といってしまうと,すべての人を含んでしまいそうですが,
たとえ子どもでも,「次の次」を考えられるような,「しかけ」がほしいのです。
「わかりやすい」は,「売る」ために多くの参考書のタイトルで採用されている修飾語です。
何でも,かんでも,「わかりやすい」ものを求める。
知的に負荷がかからない状態というのは,緊張もなくリラックスできて,「心地よい」時間になると思いますが,知性を高めようとするときに,負荷がかからないままでそれを実現しようとするのは,わがまますぎる要求です。
友だち同士でなければ,切磋琢磨はできない,なんて「わがまま」も,同じ。
(友だち同士で,切磋琢磨はできない,と言っているわけではありませんよ)
小学校と中学校の「学習の違い」を,
「やさしい」「難しい」,「わかりやすて楽しい」「わかりにくくて苦しい」というような対比で多くの子どもは捉えていますが,その原因をつくっているのはどこなのでしょうか。
小学生に負荷など
という考え方と,
小学生だからこそ負荷を
という考え方は,正反対です。
後者の立場をとってくれる教師や塾によって,子どもの能力がぐんぐん伸び,前者の立場をとった教師に習い,塾に通わなかった子どもとの「格差」がどんどん開いていってしまうことも,
「中1プロブレム」の原因の一つになっています。
中学生は,「他の生徒との比較」が大好きです。
ほとんどの子どもが100点をとれるようなテストをやっている,小学校のときは,やりたくてもできなかったこの「比較」が,中学校ではできるようになってしまう。そして,
比較する作業を通して,自信をつけたり,不安を高めたり,自己嫌悪に陥ったりします。
格差が起こるのは,当たり前のことなのに。
小学生には,塾ではなく,学校での教育でも,思いきり負荷をかけてあげてほしいと思います。
しかし,残念ながら,小学校の各教室を見ていると,学校を流れている時間の速さというのは,どの学年でも同じなんですね。
小学校の教師はある程度は意識されているのでしょうが,6年生と4年生の授業の進み方がほとんど変わらない,というのはちょっと考えられないことです。
少し難しくなる分だけ,進み方がゆっくりにしよう,という発想もあるのでしょうか。
「わからない」と小学生に言われてしまうことへのおそれが,どうしても解消できないのでしょうか。
「わからなくてよい」のです。
小学校では,「わからない」ことが言えた子どもの評価をどんどん上げていってほしい。
「わからない」ことだらけだった学習が,中学校で学ぶと霧が晴れたようにすっきりと「わかる」ようになっていく・・・・・そんな「おいしい思い」を中学校側にさせるのは,小学校側としては,不本意でしょうか?
とりとめのない話になってしまいました。
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