指導力不足を環境のせいにできる教師たち
学校には,特に公立の中学校には,目標の達成や解決が困難な課題がたくさんあり,多くの教師は悪戦苦闘しているのですが,
「あきらめている」教師,
その原因を「他者に転嫁している」教師もたくさんいます。
「切磋琢磨」が,限られた空間の,しかも「仲の良い,良い人間関係のなかでしかできない」と考えている人間が教育現場にいた(いる)ことは,
「切磋琢磨できる場所がなかった」と堂々と言えるような人間を許してしまう原因になり得ます。
dolceさんの「反論がいかにおかしいかということは、やはり普通の教養人ならわかるでしょう」という投げかけに対して,簡単に説明しておきましょう。
dolceさんの以下のコメントに対して。
>切磋琢磨が行われている環境は人間環境の良い状況を想定して用いられる言葉です。
>この私の説明に反論して、お前は読解力がないし、経験が不足しているから、人間関係がギクシャクしている中でも切磋琢磨は行われるということがわからないのだと言うわけです。
私が「読解力がない」と指摘したのは,
そもそも私は
>小学校の発想にはないのが,「切磋琢磨」。
>単なる「競争」とはわけがちがう・・・・ことがわからない人が多い小学校。
>教師の人間関係がどこかぎくしゃくしている方が,子どもがぐんぐん伸びていく,そういう学校もあることを知っておいて下さい。
と書いたように,小学校には切磋琢磨する,子どもに切磋琢磨の場を与える,という発想がないというのが私の主張でした。学級王国というところは,そういうところなのです。
このことに対する反論はあって当然なのですが,
どこにも書いていない
>人間関係はギクシャクしていた方がよい。なぜなら、その方が切磋琢磨が行われる
ということに対してご自分の考えを述べている。
dolceさん流に書けば,「知性の欠如」が原因なのでしょうか。
そういった「ずれ方」をしているご自身に自ら追い打ちをかけるように,
>切磋琢磨というのは、人間関係の良い間で行われる行動
と決めつけ,
>人間関係はギクシャクしていた方がよい。なぜなら、その方が切磋琢磨が行われる
のはおかしいと主張されている。
しかし,仮に,私が,
>教師の人間関係がどこかぎくしゃくしている方が,子どもがぐんぐん伸びていく,そういう学校もあることを知っておいて下さい。
ではなく,
>教師の人間関係がどこかぎくしゃくしている方が,子どもがお互いに切磋琢磨して成長していく,そういう学校もあることを知っておいて下さい。
と表現していたとしても,dolceさんの批判は的外れであることは一目瞭然でしょう。
いずれにせよ,
dolceさんは人間関係がぎくしゃくしている学校で教員が
「学問や人徳をいっそう磨き上げること」はできない,と宣言しているわけですから,
無責任な指導力不足教員にとっては願ってもない「教祖」になってくれる存在でしょうね。
症状が重くなってきているので,そろそろ決定打がくるころかもしれません。
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