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教員,転じて,プログラマーにて,教員の魂を失う

 今までの経緯を整理しましょう。

>自分の話の展開を都合よくするために、相手の考えも勝手に決めてしまう。
>すべて、自分の都合でシナリオを作って完結したい。
>このような話をどこかで聞いたことはありませんか?

 あります。教育ブログで,読んだばかりです。

 kurazohという人の

>小学校の発想にはないのが,「切磋琢磨」。
>単なる「競争」とはわけがちがう・・・・ことがわからない人が多い小学校。
>教師の人間関係がどこかぎくしゃくしている方が,子どもがぐんぐん伸びていく,そういう学校もあることを知っておいて下さい。

 という指摘に対して,

 dolceという人が,

>人間関係はギクシャクしていた方がよい。なぜなら、その方が切磋琢磨が行われるから。

 という「誤読」「誤解」あるいは「捏造」をやりました。

 ですからそこで「そんなことは書いてない」と言って終わりにしてもよかったのですが、

 dolceという人が、

>友人同士でないと切磋琢磨はできない

 という話を,辞書の意味に基づいて主張してきたので,「それはおかしい」と指摘しましたが,それがどうも理解できないらしい。

>人間関係のよくない間での摩擦や葛藤などの刺激のことを切磋琢磨とは言わない。

 と断言されているのは,摩擦や葛藤を通した切磋琢磨を経験したことがないからでしょう。

 そもそも,切磋琢磨そのものをした経験がないからこそ,こうやって辞書の意味にたよるようなことしかできないのでしょう。

 仮に友人関係にあった者同士が,人格を磨いていくという場合でも,その過程でお互いの関係が「ぎくしゃくする」ことは大いにあるのです。

 むしろ,そういう関係があった方が,「切磋琢磨」になるという場合もある,と考えることはできるのです。

 ちなみに,「原文」では,「人間関係がぎくしゃくしているのは教師たち」で,「切磋琢磨するのは子どもたち」です。これすら「読めていない」のは,批判目的のために何も見えなくなってしまったのが原因でしょう。

>くどいようですが、文を読む時、5WIHにもとづいて検証してみましょう。

 ・・・だそうです。とにかく,自分自身に強く言い聞かせて下さい・・・・・。

 自分が経験したことがないことを通して,他人がそれはできると言っていることを否定することはできないから,辞書にたよるしか方法がない。

 辞書にたよるしかない,というのは,最低の勉強方法ですね。

 ネイティブがその場にいない外国語学習が,これに近いのかもしれません。

 辞書を引けば正しい外国語を書いたり話せたりすることができるようになるわけではないのです。

 日本語そのものをよく理解できていないと,次のような誤解も生まれます。

>「また」は並立の接続詞で、例文も出ています。
>彼は政治家であり、また小説家でもあるる。
>これは、彼は政治家か小説家のどちらかという意味ではありません。両方です。

 政治家か,小説家のどちらかである,というわけではなく,両方ともあてはまる。

 それはその通りです。

 ですから,彼は,「政治家ではない」というのは,誤りです。

 dolceさんは,この誤りを犯していることにどうしても,気づけない。

>学問や人徳をよりいっそう磨き上げること。また、友人同士が互いに励まし合い競争し合って、共に向上すること。(goo辞書)

 が「切磋琢磨」の意味である,という場合,

 (自分自身の努力で)「学問や人徳をよりいっそう磨き上げること」も,「切磋琢磨」の意味として使えるのです。

 ベン図で説明しなくても,分かるはずでしょう。

>先生は、歴史的な言葉の変遷について「もとはこうだった」だが、それから「こういう意味になった(転じた)」それは言葉は生きているからだと強調された。

 という経験があるそうです。

 しかし,「切磋琢磨」の場合は,「災い転じて福」のような「転じて」とは異なり,まさに「加わる」という形で,

 「様々な努力を通して、互いに高めあうことを表す四字熟語となった。」(Freshペディア?)

 ということ。

 どこに「友人でないとだめ」と書いてありますか?

 自分に都合のいいように,二つの辞書の意味を合体させたのでしょうか・・・・。
 
 でも,「転ずる」とどうなるのか,dolceさん自らが身をもって示してくれていますね。

 教育現場にいたころは,

 「頭のおかしい人」などとは,口が裂けても言えなかったでしょうに・・・・。

 プログラマーやただのバンドの指導者なら,これは「あり」なんですね。

 教育者としての魂を失った人です。

(追記)

 嘘つきの子どもが,他の子どもに,「嘘つき!」と言われたとき,先生にこうやって
 
 泣きついてくることがあります。

 先生,あの子,私の「悪口」を言うんです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より