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カルロスさんに一言,申し上げたき儀

 カルロスさんは小学校の先生だったでしょうか。

 「内容」が乏しいので,いつでも「方法」にこだわってしまう小学校教師・・・・なんてことをかつて書いていましたね・・・。

 中学校の場合は,「内容」の方に偏りがありすぎて(これ,二つの意味があるの,分かります?),

 それはそれで問題なのですが,

 小学校の場合は,「方法のみを売り物にできるという,おそろしい世界で,

 「ちょっと真新しいことに激しい関心をもつ」人たちを,本当に大勢見てきました。

 それを,カルロスさんの記事で,思い出してしまいました・・・・。

 小学校の研究会に参加すると,その「人口の多さ」に圧倒されます。

 以前,ふれたかどうか忘れましたが,有名な小学校の研究会に参加する先生方は,

 発表している「教祖」から絶対に目をそらさない

 という原則を貫徹しているのでしょうか。

 いろんな人が質問を投げかけたりするときに,私の感覚では,

 「話している人の方を向く」のが礼儀だったりするのに,

 そういう会に参加している人は,

 「教祖から目をそらさない」のです。

 「内容」に関心があるわけではなくて,

 「教祖がどういうふうに反応するか」に関心があるんだということがよく分かりました。

 それはそれで,いい勉強法とも考えられなくもないですが。

 小学校の教師は,

 どうやって「人を差別しないように,目線や表情に気を配るか」の研究・・・・だったりして。

 話がそれました。

 ランキングポイントのバナーを活用した「アンケート」では,

 今のところ,№2より,№1の方がクリック数が多かった,という状況です。

 もちろん,本ブログに訪問される方の中には,検索語から入ってこられる方もいらっしゃって,そういう方が過去の記事でクリックしてくださった,ということも考えられるので,あくまでも,目安です。

 明日は,「第三弾」を考えています。

 dolceさんの方は,すぐにでも対応が可能ですが,

 O市の方は,きちんとした情報がほしい,というのが,本音です。

 今,在校生に直撃取材するメディアも現れ始めました。

 中学生ですから,変にあおられて,調子に乗る子が出ないとも限らないので,

 「余計なことは話すな」という学校の指導を超好意的にとらえると,その意味はよく分かります。

 でも,「隠蔽体質」が問題になっている今,この時期は,言葉を選ばなければなりません。

 どういう立場の人も,「言葉」を選んで,語ってほしいところです。

 カルロスさんに一言,申し上げたいことは,

 私にとってのブログの「成功」「失敗」は,

 ランキングポイントが上がる,下がる,たくさん入る,入らない,そういうことではありません

 「参考になった」と思う人が,素直にクリックしてくれる,そういう環境であるかどうかもわかりません。

 注目してくださることはうれしいことではありますが,

 問題は,教育現場がよくなるか,どうか,です。

 教師の力量が,向上するか,どうか,です。

 教師の力量というのは,本を読めばよくなるとか,ブログを読めばよくなるとか,

 そういうものではないでしょう。

 まずは失敗を失敗としてとらえ,成功も失敗ととらえるところから,新しい教育の姿を創造していく・・・それも,今すぐにできるぞ,というものではありません。

 失敗学から,創造学へ,工学的なものの考え方なら,応用していけるかもしれませんが,

 教育はそう簡単なものではないでしょう。

 失敗の状況すら理解できないレベルに,私も今,あるのかもしれません。

 でも,たとえば実質的に「指導力が不足している教員」が放置されている現状を何とか打破するための戦略を生み出したい,という気持ちは,人一倍強いものがあります。

 簡単にここからは教育の創造だ,などと言えないのですが,いつかはやらなければならない,成し遂げなければならない,そういう気持ちを,ブログタイトルに込めている,というのが現状です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より