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辞書を引く前に,本文をよく読むことが学力向上&コミュニケーション不全の解消の近道

 ちょっとレベルが高い話でしょうか。

 英語が苦手な人は,意味が分からない単語を片っ端から調べていこうとするので,いっこうに読み進められない。

 だから,まずは通して読んで,一応の内容をつかみ,できたら単語の意味も類推していく・・・・・・

 こういう学習方法が身に付いている人は,辞書を使うのは「最後」ですね。

 本文もろくに読もうとしないで,

 辞書の意味から入ろうとするようなdolceさん流の勉強方法は,「三流」ということになります。

>何かの本に、学力をつけるためには辞書をひく労を厭わないことと書いてありました

 そうですね。でも,その前に,しっかり「本文」を読みましょう。

 その方が,「言葉の意味を類推する力」がついて,学力向上にはもってこいですよ。

 最後に辞書で引いて,意味が当たっていたりすると,自己肯定感も増しますからね。

 

>「学問をし、徳を修めるために、努力に努力を重ねること」だけで、切磋琢磨の意味になると言うのだから、こんな頭では保護者一般から、教員のレベルを疑問視されても仕方がないだろう。

>少なくとも正しい言葉の使い方をしてほしいと思います。
>それには、常に辞書で確認する態度が大切と思います。
>「辞書にたよる」という言い方をし、辞書を使うことが、あたかもいけないことのような印象を与える人がいますが、そうでしょうか?

>辞書にある意味でなくて、オレの頭の中にある意味が正しいんだと言いたいのでしょうか?
>そうだとしたら、それはとても不遜な態度と言わざるを得ないでしょう。
>それは、オレの言うことは間違いない、いつも正しいという思い上がった態度、上から目線まっしぐらではないでしょうか?


 こういうのを,「自己主張」と言います。

 辞書の意味の誤読だけしていればまだましなのですが,

 こういう余計なことをたくさん書くので,

 「辞書の意味を持ち出す理由

 がばれてしまうのです。

 当たり前のことを書いて,いちいち

>オレの言うことは間違いない、いつも正しいという思い上がった態度、上から目線まっしぐらではないでしょうか?
 
 とからんでくるような教員は,やはり現場にもたくさんいますね。


 ところで,「また」の用法はお分かりになりましたか?

 まずは,よく「本文」をお読み下さい。

 
 自分の都合の悪いことを徹底的に読み飛ばして,

 何とか食いつけそうなところだけ,辞書にすがって「主張」するのは,

 あまり「知性的」とはよべないと思われます。


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コメント

爆笑が起こる5W1Hの授業
http://homepage2.nifty.com/motoyukeyo/kokugo/5w1h/5w1h.htm

「笑いが止まらない」 日本語の5W1Hを学ぶ動画に外国人大爆笑
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-217.html

もともと、5W1Hというのは英作文の出来ない日本人が考えた、無理矢理に英作文するときのために、日本語には現れているはずのコンテクストを英文にくっつける手法だと解釈出来るのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より