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【提案】 いじめ撲滅に向けて教育委員会がなすべきこと

 文科省に数字をあげるために,教育委員会は毎年,いじめ等の調査を行っています。

 しかし,文科省側への注文としては,いじめについては,

 件数や大まかな原因を把握するだけでは,だめです。

 少なくとも教育委員会レベルでは,

 いじめ1件につき,必ず1枚以上の報告書を添付させるのです。

 これをやったら,報告書をつくるのが面倒くさいから,いじめはなかったことにする,・・・・そういう学校が増えて,文科省にあがる数字はさらに実態からかけ離れて減っていくだろう,と予測する人もいるでしょう。

 私は,そうは思いません。

 いじめの発生とその指導の実態,指導の経過や結果等を,管理職が知らないケースの方が多いと思うのです。

 生活指導の記録の付け方もわからないような教師がいるからです。

 記録をとる気のない教師もいます。

 記録の付け方を示してあげるしかありません。

 「訴え」があった時点で,「いじめ」はあったものとして,まずは書類を作成し,そこにその後の聞き取り調査の結果等を記入させるようにする。

 本当の初期指導から,記録は決して加工することなく,残しておくことが重要です。

 学年をまたいで,とか,学校をまたいで,とかいう「いじめ」もあります。

 「指導過程」の情報は,必ず引き継がなければなりません。

 そのためのフォーマットを,教育委員会が作成し,その用紙の使用を義務付けるのです。

 ○いじめが分かった経緯(本人の訴え,目撃者の訴え,担任の気づき,など)

 ○事実確認の内容(いつ,どこで,だれが,だれに,何をしたなど)

 ○聞き取り調査の内容(原因,背景,影響など)

 ○指導内容,指導方法の内容(指導言も含めて記述)

 ○経過観察の内容(主に担任が把握し,面談結果などを記述)

 ○事後指導の内容と結果とその分析等(全体指導とその効果など)

 さらに,いじめた側の反省文や,いじめられた側の「訴え」をまとめたものなども,補助資料として添付します。

関係者の生徒の名前だけでなく,指導したり面談したりした教師の名前も,忘れてはいけません。

 病院のカルテと同じ要領です。

 私が以前,勤めていた「荒れていた学校」では,「いじめ」に限らず,ありとあらゆる「生活指導の記録」を,職員室のだれの目にもふれられるような形で残していました

 「問題履歴」をその都度,見せるわけではないですが,ある程度,たまったときに,本人や保護者に見せると,「記録が残るのはまずい」という意識がはたらき,途中で生活が改まる生徒もいます。

 記録は大事です。

 いつ,だれの目に触れてもいいように,書くのです。

 プライバシーがどうのこうのと言って,記録をとらない学校もあります。

 指導した生徒名を残さないような記録は,記録ではありません。

 家宅捜索された学校も,もしかしたら,

 「有効な手がかりになるような資料は何ら見つからない」おそれがあります。

 私が教育ブログを代表するダメブログに認定?しているところでは,

 「何か出るのだろうか?」なんてとぼけたことが書かれています。

 この人の学校には,いじめの指導記録など,存在しなかったのは明らかです。

 本当に当事者意識がゼロの元管理職。

 「いじめがあったなんて,聞いてません」などということを平気で言えるようなとぼけた管理職らしさが,文章ににじみでています。

 「いじめがあったかなかった」は判定しにくいから,何もしない,そんな態度が平気でとれる人間。

 「いじめの相談があった」時点から,だれがだれに何を言ったり,だれがだれから何を聴いたのか。

 そういう記録が残らないような学校をつくるのは,やる気のない管理職であり,いじめがあったことにしたくない教育委員会なのです。

 そういう姿勢があるからこそ,このような問題が起こるのです。

 もし,資料が警察の手に渡らないように,「シュレッダーするなどして廃棄せよ」という指示があって,消滅させていたら,これは問題ですが,そもそもそういう資料がない,というのは,それをはるかに上回る問題です。

 「いじめ指導カルテ」を持っている学校は,どのくらいあるでしょうか。

 すでに,そういう指導カルテを示していたり,指導過程や指導結果などを報告させている教育委員会はどのくらいあるでしょうか。

 そこまでやる,やりきる,そういう強いメッセージを教育委員会は学校に送るべきでしょう。

 愚の骨頂は,「いじめ撲滅プラン」などを出させて満足しているような状況です。

 そんなことで満足しているような教育委員会は,

 「いじめ認定撲滅プラン」を実行しているようなものです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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