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指導力不足教員にも,(問題を隠そうとする)思考力はある

 もちろん,もっぱら,自分を正当化するための思考力です。

 dolceさんは,ほぼ正確な自己理解ができています。

>世の中には変な人がいますから、あまり気にしてもしょうがないと思うのですが、ちょっと普通とは違うなと感じるものもあります。

>普通とは違うなと思うものは
>(1)あまり、気にする必要のない言葉に過剰反応する(あら探しに熱心という意図も感じる)
>(2)特定の言葉に過剰反応するあまり、最も大切な文章の要旨をとらえていない
>(3)当方が大した人間ではないと力説し、巷の評価を下げようとする意図が感じられる
>(4)他人には厳しく自分には甘い
>の4点にまとめられます

 これは模範解答に近いですね。

 でも,残念なことに,自己評価ではなく,「他人」の話なのです。

 これを私は「ミラー現象」と呼んでいます。

 「裸の王様」は,自分で鏡を見て自分の姿を見ているはずなのに,それを「他人」と錯覚してしまっている

 そういうことです。

 驚きますね。

 「頭がおかしい」なんて人をこきおろしておきながら,

>断っておきますが、私の評価を下げようとしても、ムダなことです。
>だって、もともと、私は大した人間ではないですから。

 なんて書いている。相当に,「大した人間」ですよ。

>他人のあら探しには熱心で、些細な事にも厳しい口調になるのに、自分が間違えた時は「沈黙」です。

 ・・・・ええっ! まさにそれはdolceさんの姿そのものですが・・・・。

 dolceさんは,以前にご自分の演奏の動画をブログに掲載されていましたが,『巷』ではご本人がだれか,皆さんご存じなのでしょうか?

 ネット上で使われている「巷」とは,どこの世界のことでしょう?

>巷の評価を下げようとする意図

 という意味がわかりません。

 なぜ「巷の評価が下がるか」が,どうして自覚できないのでしょう?

 謙虚さがないから?

 やはり,「裸の王様」だからでしょう。
 


 さて,指導力には様々な場面における,様々な能力をさすわけで,

 クローンを相手にするのではない限り,子どもは教師たちの指導力の違いを常に肌で感じながら学んでいます。

 「指導力のある教師」というのが「空気のように自然」であることが望ましいのですが,

 そういう学校の場合は,気の毒なのは

 「指導力が不足している教師」です。

 ろくでもない「決まり」を強制的につくらせて,「自分たちで決めた(?)ことなんだから,どんなことがあっても守れ」などという
 
 「あの」障がい丸出しの教師は,子どもがそういう「決まり」を「守らない」ことを通してさらに「いい気になって」子どもをいじめていきます

 まだ,生徒に対してそうやって「優位に立てる」,落ち着いた学校ならよいのですが,

 そうでないと,授業そのものが「崩壊」します。

 「指導力が不足している教師」に,最も腹を立てているのは,本当は,子どもなんですね。

 でも,そういう子どもは自分の気持ちを抑圧しなければならないので,そのつらさが分かっている私が,強く腹を立てているのです。

 
>とにかく、実際に授業を任されている人は思考力不足教員ではないでしょう

 このdolceさんという人は,O市が今,たいへんになっていることは承知されているのでしょうか。

 それとも,「あの思考」力をもって,「教師は正しい」と主張するのでしょうか。

 自分たちは正しい,ということを人に訴えるための思考力だけは,本当に豊かであるようです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より