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小学校教師が「その後」を知るチャンス

 中学校に入学すると,子どもたちは,担任の教師だけでなく,実に多くの教師たちとコミュニケーションをとらなければならなくなります。

 しかし,それが,一部の子どもたちにとっては,かなり面倒くさい。

 一日,何度も,何人もの教師たちと教室にいたり,廊下ですれ違ったりすることになる。

 できれば,「私にはかまわないでほしい」と思う子どもも出てくる。

 「かまってほしい」けど,「かまわないでほしい」・・・・というのが,子どもです。

 「甘えさせてくれる人にはかまってほしい」けど,「厳しくしてくる人はかまわないでほしい」のです。

 一人一人違う教師なのですが,中学校の場合,ある点については,「みんな同じ」になることもある。

 生活指導上の姿勢です。

 だから,だらしない服装や頭髪をしていると,

 実に多くの教師たちから,同じような声をかけられる。

 だらしない服装には,ありとあらゆる「可能性」が秘められているからです。

 「いじめ」「ネグレクト」「怠惰」「悪い方への協調性発揮」などなど。

 残念ながら,そういう「めんどうくささ」に「中学校の教師たちは,みんな嫌いだ」という思いを抱くようになる生徒も出てくる。

 だれ一人として,「それでもいいよ」とは言わないので,

 「話をしたい相手がいない」。

 中には,そのことをわざわざ小学校まで出向いて行って,もとの担任教師に訴える子どもも出てくる。

 こういうのを,「甘え」と言いますが,

 中学校1年生にとっては,初めて出くわす大人からの「集中攻撃」が原因だったからで,仕方がないことかもしれません。

 本当に「野放し」だった小学校生活が恋しくなった子どもは,

 「中学校のつまらなさ」を大々的に宣伝しにかかる。

 ・・・・・・実は,こういう子どもほど,中学校できちんと教育をすると

 上級生になったときに,下級生の面倒見のいい中学生に成長します

 下級生たちの中には,「とても厳しい上級生」と思う子どももいるでしょうが。

 中学校はどういう「教育」をするのかというと,

 それは人との「コミュニケーション能力」を向上させることに結びつく,教科,特別活動,総合的な学習の時間をはじめとしたありとあらゆる場面での取組です。

 小学校時代,子どもはほとんど唯一,頼れる存在である担任ばかりを見ています。

 どこかで,子どもが「目線を向けている」人間の数と,「目線を向けている」時間の長さに関するデータを集めた人はいないでしょうか。

 小学校では,異常なほど長い時間,担任教師を見ている子どもがいるのでは?

 でなければ,本など,「人間以外の何か」など。

 中学校では,とても大勢の教師たちに,一斉に目を向けられるという宿命がある。

 だからこそ,いい,と言えるか,その逆か。

 荒れた中学校では,「コミュニケーション能力」の向上に失敗します。

 私が実際に足を踏み入れたそういう学校では,まず,何をおいても

 教員間の「コミュニケーション」が乏しい。 

 近くにいる人の顔を見ない。

 顔(やその近く)を見ない人が職員室にいたら,「おや?」とすぐに気づくはずです。

 子どもは,「見られていない」と実感すれば,

 何でもやりはじめます。
 
 荒れている学校は,こういう悪循環があるからこそ,荒れている。

 小学校に,卒業生は集まってきますか。

 夏休みを前に,ぶらっと立ち寄る子どもも多いのではないでしょうか。

 中学校や,子どもの変化を知るチャンスです。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より