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【投票受付№2】 O市O中生「いじめ自殺」をめぐって(追記あり)

 O市O中生の「いじめ自殺」後,遺族だけではなく,いじめの加害者やその家族,在校生たちが心を痛める状態が続いています。

 ここ連日のニュースでは,学校や教育委員会の「隠蔽体質」が明るみになり,

 一方,報道の「真実の暴露体質」の影響によってか,いじめた生徒の名前が知られることになり,

 学校関係者は「早く夏休みになってほしい」と願う毎日になってしまっていることがうかがわれます。

 ネット上では,さまざまな情報が得られます。

 私が今,手に取っているのは,この学校の校長が発行した『学校便り』です。

 そこには,亡くなった生徒や遺族への思いがほとんど表現されておらず,

 「ああ,こういう学校だからこそ・・・・」という印象が強く残る言葉ばかりが綴られていました。

 中学校側=在校生たちの立場に立った,以下のような考え方を理解したい,という方もたくさんいらっしゃるでしょう。

 「そっとしておいてあげてほしい

 しかし,遺族側や亡くなった当時中2の子どもの立場に立った,

 「真実を明らかにしてほしい

 「学校や教育委員会の問題を明らかにしてほしい

 という声が多いのも確かです。

 裁判が始まれば,様々な事実が明らかになってくることでしょう。

 

 今,ブログ村の教育論・教育問題畑では,ほとんどこの問題で注目されている記事はありません。

 今回の投票は,

 本ブログでもこの問題にふれるべきか,どうか,という点について,投票をいただけたらと思います。

 「学校の混乱を助長する」ほどの力は本ブログにあるとも思えませんが,

 そもそも読者がいなければ,書く意味もないことは確かです。

 
 「第三者機関」の一部?として,こういう教育ブログにも,意見表明の必要性があるとお考えの方は,下のバナーをクリックしてください

 よろしくお願いいたします。

**************

 今回の「いじめ自殺」の件については,「静観すべき」というのが良識なのでしょうか。

 今のところ,投票が少ないので,まだ検討中です。

 一つだけ。

 O中の「学校便り」のタイトルは,

 あの,事件が起こった直後も,変わることはなく,

 「やっぱり○中がすき(+ハートマーク)」です。
  
 今も,同じです。

 このタイトルと,事件に関する説明は,ミスマッチとしか言いようがありません。

 事件の背景や保護者説明会,全校集会に関する記載以外の,

 「通常の記事内容」としての「生徒会後期役員選挙結果」や「11月の行事予定」がいっしょに

 載せられているという神経も,私にはとうてい理解できません。


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コメント

http://www.news30over.com/archives/6377702.html
口止めのニュースもう消されていました上記は、ニュースのコピー?が掲載されています。広告が多いので見づらいですが校内放送まで使って口止めしたとのこと。

http://www.mbs.jp/news/jnn_5075056_zen.shtml
口止めをしていたことがニュースに出ています。

別の事件ですが、
「広島県豊田郡安浦町立安登小学校ワイセツ教諭教え子殺人事件」河内武志教諭を逮捕!!
http://ohitorigoto.cocolog-nifty.com/blog/1990/03/post-31ca.html
********************************************************
■不祥事を内密に進めて処理することが仕事なのか?
 広島県教委の菅川健二教育長は県教委に連絡を受けながら適切な指導をしなかったことなどについて、対応のまずさと連携不足が事件を防止できなかった一因だったと認めた。山根教育長は「まさか、現職の教師が教え子の命を奪うとは、私の不徳の致す所です」と語った。渡辺校長は「25日に本人を連れて家まで行ったのですが、留守だったので・・・。もっと素早い措置を取るべきでした。今日(26日)また、本人を連れて謝りに行く予定だったんですが、言葉もない」と自らの対応を謝罪した。事件を知り学校に駆け付けた父兄の一人は「せめてこの(校長らによる事実確認ができた)段階で宏美さんの両親にだけでも事実を話していたら犯行は防げていたのに」と語った。
********************************************************


3回逮捕されてやっと教職から離された大塚友意
http://momoiropink777.blog97.fc2.com/blog-entry-755.html

この手の事件と同じ対応しかしないだろう、ということは想像できます。
何度も同じような問題が発生したにもかかわらず、そういう人(サイコパス)を教育に情熱がある教師と勘違いして採用を続ける、教育委員会。

どうして、こういう人たちが教師でいるのか不思議です。演技にだまされるのは何としても避けたいけれども、長年そういう人を好んで採用してきた責任は重いといえるでしょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第四巻より
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    「春秋の名君」より
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    「歴史の活力」より
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    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より