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人の「心」で遊ぶ教育

 子どもを「感動させる話」をするのは好きですか?

 私は嫌いですね。

 私が「道徳の時間」に忌避反応を示すのは,

 「人の心を揺さぶって楽しむ」教師の姿を見るのが嫌いだからです。

 だからでしょうか。

 「国語の時間」…特に,「胸を打つ話」を読むのが苦手でした。
 
 感動しやすい人,そうでない人がいるのかどうかわかりません・・・・というのは,感動しているのにそれを表に出さない人や,感動しているわけでもないのにわかったようなことを表現できる人がいるからです・・・・が,私は「人前で感動すること」が嫌いです。

 講演会などで,「人の心を打つ」ネタをもっている人は大勢いるでしょう。

 そういう方の講演で,「心が洗われる」ような経験をして,会場を去る人も多いことでしょう。

 ただ私は,こういう話をすると,人はこうなる,というような「先が見えている話」の怖さを知っています。

 人の「心」を動かせる,ということは,「行動を左右できる」ことでもあるのです。

 もちろん,悪い方向へと行動させるために人を集めている人はいないでしょう。

 しかし,人を動かせる力を知っている人が,頼りにされる社会というのは,とても危険な社会です。

 私のそういう意味での教育観は,

 直接的に「感動的な話をする」よりも,
 
 偶然を装う,という,これも操作的な動きなのですが,

 子どもが自分から獲得する「感動」というものを重視しています。

 いつも子どもに接てしている人(教師)は,子どもの「心」を簡単には揺さぶらないでほしい・・・・そういうことを願うことの意味を理解してくださる方はどのくらいいらっしゃるでしょうか・・・・。

 「いじめ」を助長しているのが,「道徳教育」であることがもし実証されたら,教師たちはどのような責任のとり方をしたらよいのでしょう。

 「いじめ」は,心理戦です。

 その心理戦を日常的にしかけてきているのが「教師」であったとしたら・・・・。

 子どもは,大人から心理戦の効果的な戦法を学んで行っているのかもしれません。


 これは,あくまでも私の教育観であり,

 「心」の世界で稼いでいる人の仕事を妨害する意図はありません。

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コメント

感動云々のお話も現状との乖離という点で以下のお話と似た点がありますね、よく「人権・同和集会」とかありもしない差別を誇張して、既得権益者を守ろうとする集会やイベントが学校の日教組教師を中心に行われていますね。

現状と、語り合う内容の著しい乖離があり、ある意味オウム真理教と大差ないけど既得権益者にとってとてもおいしい事なんでしょう。

不祥事で何かやらかしても実名報道されない場合この既得権益者であることが多いですよ。通常なら懲戒解雇のところ既得権益者は懲戒解雇にならずに依願退職で退職金丸々もらうわけです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より