人に「謙虚であれ」という人の謙虚さ
学校の教師が道徳教育をしにくいのは,
第一に,ほとんど考える必要のなさそうな子どもが熱心に学び,
次に,本当に必要のある子どもに響きにくい
そして学校によっては,教師の多くが
「そんな建前を教えて何になる」
という姿勢でいることです。
普段,人に対して「謙虚ではない」人から,
「謙虚に生きることが大切」と言われても,「はいそうですか」で終わりだし,
人に対して「やさしくない」人から,
「人にやさしくしよう」と言われても,「あなたはよくそんなことが言えますね」と反発されるし・・・・
といった調子で,
学校のあらゆる授業の中で,最も「充実感が乏しい」と子どもたちが評価している道徳の時間はどうあるべきか・・・・,
「話し合おう」「何とかしよう」と始めた途端,
方向はより悪い方へとしか向かいそうもない,そんなジレンマの中にいる教師たちに,
「救世主」は現れるのでしょうか。
実は,答えは非常に簡単なのですね。
「救世主」は,生徒なのです。
生徒が「活動」するからこそ,そこに「道徳的価値」を考えるきっかけが生まれるわけです。
「実践的活動」の中から,「考える」必然性が生まれてくる。
そして,ときには,生徒が「教師に望むこと」という切実な「思い」が表現されてくる。
受け入れるかどうかは別として,「聞く」か「聞かないか」が,
人間としての「謙虚さ」があるかないかの違いなのでしょう。
部活動に遅刻してきた子どものせいで,「話し合い」を強制され,かつ,「だれも遅れてこない開始時刻を決定せよ」という命令を受けた子どもたち(決まった時間に来て,活動を始めたかった子どもたち)の身になって考えてみましょう。
そんなことを強制されたり命令されたりする前に,
「どうして私たちの声を聴いてくれなかったのか」という声なき声に耳を傾けようとしないような教師に,
「謙虚さ」を語る資格はないのです。
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