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視聴率稼ぎと大差ない「授業づくり」(追記あり)

 視聴率至上主義の「ばらえてぃー」番組への批判と同じ仲間に入れられては気の毒かもしれませんが,

 「人気とり」に熱心になる小学校の先生に一言。
 
 「おもしろい」と思われる授業をされたい気持ちはわかりますが,

 「何がどうおもしろかったのか」を子どもは中学生になって正直に話してしまいます。

 授業の本質がばれてしまうのですね。

 「今日の授業は楽しかったですか」

 という質問はやめておいた方が,「身のため」だし,子どものためでもあります。

 いろいろと子どもを楽しませるための工夫をわざわざ本にしてくれている先生へ。

 これを子ども向けの本として出版して子どもに買わせて,読ませたらいかがでしょう。

 従来の先生の役をしてくれる子どもがたくさんつくれて,先生は本来の仕事ができるようになると思います。

****************

 ダジャレやごろ合わせ,なぞなぞで「覚えさせる」ことに熱心な教師たちへ。

 いえ,こういうのは,塾の先生が得意な技では?

 「習得」の意味が分かっていない人が,これで「教えた気になる」のがこわいことです。

 あくまでも「入口」で,「出口」の情報ではありません。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より