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教師をしていると身に付く特殊能力

 教育実習生の授業を見ていると,

 「せっかくあの生徒が大事なことをつぶやいたのに・・・」

 「あの生徒は何度も先生によびかけていたのに・・・・」

 といらいらすることがあります。

 目の前の指導案に心を奪われ,子どもが見えてない,声が聞こえていないのです。
 
 物理的には聞こえているはずなのに・・・・


 いやいや,ここでふと思いました。

 自分もそうですが,教師と言うのは「地獄耳」だな・・・・・と。

 ワイワイガヤガヤやっている生徒から,宝石のごとき一言を「聞き取り」,授業で取り上げる。

 そういう「特殊能力」が,自然と育っていきます。

 
 もうちょっと高度になると,「目」で何を考えているか,わかるようになる。

 これも,「特殊能力」に見えてしまうかもしれません。

 
 手を挙げていないのに,当てる。

 当てられた子どもは,今,まさに伝えようとして考えていたことを話し出す。

 
 電車に乗っていても,この「特殊能力」はときどき目を覚まし,

 「先生の悪口」

 「先生による親の悪口・同僚や管理職への悪口」

 が聞こえてきます。

  
 昔,私の祖母が「耳が遠くなったけど,嫌な話が聞こえなくて気が楽だ」

 と言っていたのを思い出しましたが,きっと「嫌な話」に限って聞こえていたのに,

 聞こえないふりをしていたのでは?と思ったりもしました。


 教師の場合はその性分から,

 おもしろい発言が聞こえると,

 生徒はただ自分でつぶやいただけなのに,さっと,取り上げてしまうことがあります。

 ときどき,先生に言ったんじゃないのに・・・・などと苦情を受けることもありますが・・・・・。


 「聞き逃せない話」は,廊下を通り過ぎただけで,本当にたくさん聞こえてきてしまう。

 子どもは,まさか先生にその話が届いているとは露知らず・・・・。


 役に立つような,立たないような,そんな能力です。


 ところで,自分にとって都合の悪い話は平気でスルーできる人が,いるようですね。

 こういうのがダメ教師の典型なのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より