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教職を志望する学生に見せたいもの

 授業見学は,カリキュラムの中に組み込まれていますから,

 「よい授業」や「ダメな授業」のイメージはできあがります。

 ただ,教育実習ではなかなか知ることができないのは,教師の汗水流して働く姿そのものです。

 なにしろ,自分が代わりに授業をしてしまうのですから。

 授業が終わると,生徒のノートを読んだり,次の授業のための準備をしたり・・・・

 3週間,毎日18時間くらい,授業のことを考えたり実践したりしていると,教師の仕事の本当の姿がわかるかというと,決してそんなことはありません。

 「先生って,こんなに大変な仕事なんだ」

 の「こんなに」の認識の程度が低いまま,現場に出ていき,

 そしてその何十倍もの困難を経験して,辞めることを決心したりする。

 こういうタイプの学生たちに見せたいのは,

 「てきぱき仕事を進める姿」だけでなく,

 「ほとんど前に進んでいないかに見える,地道な生活指導」の姿です。

 教育実習生のレベルでは,いかに「教える」かが3週間のすべてになってしまい,

 なかなか「生徒から引き出す」という教育の醍醐味が味わえません。

 授業で「生徒から引き出す」ことの意味がわかった人は,初任者からそれなりに立派な教師になれるでしょう。

 しかし,「生徒から引き出す」ことの意味がわからない人は,子どもにとって「迷惑な存在」になります。

 「迷惑な存在」でも,人によっては「迷惑な存在だからこそ」,仕事として成り立ってしまうのが教育現場というところで,自分の「迷惑さ」に気づけない人は,何をどう説明しようと気づくことはできません。

 教師という仕事の99%は,すぐに成果があらわれません。

 企業の中には,「利益を追求するな」という変わったスローガンをもっているところがあります。

 すぐに成果を出したいから,仕事をする,そういうやり方は教育にはなじみません。

 おそろしいことに,仕事をほとんどさぼっていても,かなりの割合で「成果」らしきものがでてしまうのも教育という仕事です。

 長くなりましたが,以下のような場面を経験して,「本当にしたい仕事」を選べるような,そんな資質のある人に,教師になってほしいと切に願います。

 間違っても,「1分でも早く学校から帰れる」スキルを本を買ってでも学ぼうとするような人間に,教師にはならないでほしい。

****************

 発注元とはいえ大学出てすぐの若僧が,酒臭い息で,仕事をしているところに顔を出したのはまずかったかもしれません。でも,彼らはそれをさほど気にするわけでもなく,ランニング姿で一所懸命作業を進めているのです。扇風機しかない狭い仕事場で,団扇を片手に,手の汗を拭きながら・・・・。

 そうか,自分が行きたいのはこっちの世界だったのだ。彼らの姿を見てそう痛感しました。自分の手を使い,物を作り,徹夜も辞さない。彼らの熱が私にも移ってきたようでした。

 弘兼憲史『気にするな』新潮新書より

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より