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小学校における保身のための逆差別と過大評価

 できない子をいたぶる教師は,だれから見ても,「ダメな教師」。

 できない子どもが,ますますやる気を失っていく姿を見ることは,普通の教師にとってはつらいことでしょう。

 しかし,できる子をいたぶる教師となると,これは人によって評価が異なるかもしれません。
 
 できない子からの「信用」を得るために,できる子を評価しない

 そういう教師の「保身のための逆差別」が小学校で見られるのは,

 「できない子のやる気をなくさせない手段」として,効果があるからなのでしょう。

 子どもを評価してあげることが,逆効果になっている場合もあります。

 子どもの目から見ると「えこひいき」にうつることですが,教師の側から見れば,まともな「評価」をしているつもりのときに起こることをここでは指しているとします。

 子どもに「教師に気に入られるつもり」はなくても,気に入られてしまう子どもというのはいます。

 小学校では,そういう子どもは,高い評価を得られてしまいがちなのです。

 気の毒なのは,そういう子どもが他の子どもから冷ややかな目で見られることです。

 小学校高学年にもなると,お互いの「実力」が分かるようになってきます。

 自分たちの間でだれがどのくらい「努力」しているかも知っています。

 子どもたちから見た評価と,教師からの評価が明らかに食い違ってしまう子どもというのが,小学校には多く存在しています

 先ほど「気の毒」と書いたのは,中学校になると,教師からの評価と子どもからの評価が一致してくるので,

 「小学校と比べて中学校では自分は『ダメ』になってしまったのだ」と受け止めてしまう子どもがいるからです。

 小学校の教師に限らず,基本的に子どもたちは「成長するものだ」と思われていることでしょう。

 しかし,教師からの評価の程度が自分の想像より低いことによって,成長を実感できないか,むしろ力が落ちているのではないかと受け止めてしまう子どもがいるのです。

 「伸び悩み」という通常の感覚とは別の「悩み」を抱えてしまう。

 原因は,小学校時代の「過大評価」「過剰評価」なのです。

 中学校側の配慮としては,「過大評価」を受けてきた子どもを早い時期に察知し,自尊心を傷つけないようにするのですが,「学級委員」などに立候補して選ばれてしまったりすると,

 現実を知ることになるので,防ぎようのないところがあります。

 成長への期待は大きく,でも,「評価」は,ほどほどに。お願いしたいところです。

 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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