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教えないことの大切さ ~気づく機会を与える~

 教育実習生の授業は,よく生徒の「学習発表会と同じレベル」と呼ばれてしまうのですが,

 確かに「教えたい」気持ちは分かります。

 でも,やはり生徒に「気づく」チャンスを与えて,できたら自分の力で「理解する」ための機会も提供したい。

 ・・・・ただそれを現場の教員も,なかなかできないで「流している」のが現状の学校も多いことでしょう。

 指導案で,「~が~であることを~を通して気づかせる」という目標があるのに,

 教師が自ら「~を通して,~が~であること」を話してしまう,という場面をときどき目にします。

 子どもは納得している。

 その様子を見て,参観者も,「子どもはよく理解できた」と感心している。

 しかし,目標は「子どもに気づかせる」ことだったはず。 

 自己教育力は,「自ら学び,考えて,目標を達成することができた」という「成功体験」を積み重ねることで,身についていくものです。

 教育力の低い現場では,この「成功体験」はただ「テストでいい点をとる」だけのことであり,

 「テストがなければどうなるのか」

 を想定した教育になっていないのです。

 「気づき」を提供したいのなら,「教えてはいけない」のです。

 何も語っていないのに,多くを語っている,

 こういう書き方,話し方は,難しい技なのかもしれませんが。

 自治的な活動をするときに,

 「こうすればうまくいくよ」というアドバイスを「我慢できない」教員がいます。

 「それを今,言ってしまったら,その子が気づくチャンスを奪うことになる」という意識がないのです。

 「こうすればうまくいくよ」

 という本に群がる教師たち。

 やはり,のどから手が出るほどほしいものを,我慢するのは難しいのですね。

 逆に,そういう人に,「教えてあげたくてしかたがない」人も,大勢いるのですね。

 教育者と,商売人の違いです。

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コメント

この記事参考になると思います。

http://www.u-gakugei.ac.jp/~ohkawara/yukinaka3.html

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より