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人間関係がぎくしゃくしている方がよい学校もある(追記あり)

 学校内の人間関係がとてもよい・・・・とても「過ごしやすい」「仕事がしやすい」学校は,教師たちの「理想像」であることは確かでしょう。

 そして,そういう学校が,一般的には「よい学校」である。

 教師たちにとっても,子どもたちにとっても。

 しかし,「人間関係はよいものでなくてはならない」・・・・・それが最優先事項かというと,決してそうではない。

 いい仕事をお互いにしているから,自然と人間関係がよくなる,というのが理想であって,

 みんな手を抜きあっている,

 学力テストはみんなで答えを教えてしまって,学校の体裁を整える,

 みんなで子どもたちを早く学校から追い出してしまって,自分たちも早く帰る,

 課題が山積しているはずなのに,みんなでそれを放置して,責任をだれもとろうとしない,

 改善しようとしない・・・・・苦労するのは,みんないやだから・・・・。

 こういうダメ教師たちにとってだけ「過ごしやすい学校」では,子どもにとっては不幸です。

 学校に限らず,「指導者たち」はいつも成果(=学校では,子どもの成長)を追い求め,「指導方法」「指導内容」をめぐって悪戦苦闘し,悩み続ける・・・・・場合によっては,意見・考え・方針が一致せず,いがみ合ったりもする・・・・・そういう「厳しさ」のないところには,組織としての成長もないし,何より

 教師個人としての成長も得られにくい

 教師たちに限らず,一般の公務員は,厳しい経済環境の中にある企業人からみると,

 「ぬるま湯につかった」人間たちに見えてしまうことがあります。

 実際,その通りの学校もある。

 教師たちは,子どものゆとりではなく,

 自分たちのゆとりを追い求めるという一面がありました

 今も「忙しい」「忙しい」と言って,ゆとりを切望している人がいるでしょう。

 「人間関係をよくする」学校

 ではなくて,

 「人間関係がよくなる」学校をつくることが大切です。

 どうすればそうなるか。

 小学校の発想にはないのが,「切磋琢磨」。

 単なる「競争」とはわけがちがう・・・・ことがわからない人が多い小学校。

 教師の人間関係がどこかぎくしゃくしている方が,子どもがぐんぐん伸びていく,

 そういう学校もあることを知っておいて下さい。

 教育にとって,優先すべき事項は何でしょう。

************************

 ご自分のコメント欄で,「ひそかに」批判を企てたようなので,

 私が述べている学校が,「東京のすべてにあてはまるわけではないこと

 「東京以外のすべての学校にあてはまらないわけではないこと

 を付け加えておきましょう。

 dolceさんの場合は,自分が批判していることを自分自身がしていることにいつまでたっても気づけないところがあるのが,ご自分の記事の登場人物そっくりで,びっくりしました。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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